線路は続くよどこまでも

実はこの記事は3日に上げる予定だったんですが、
大河の配役発表が来るとの情報があったので、UPするのを控えておりました。
ということで、米沢紀行最終回です。


上杉博物館で上杉家の歴史を辿ったあと、ミュージアムショップを覗いてみました。
そんな中で一番興味を引いたのが、宮島誠一郎氏の「戊辰日記」でした。
宮島誠一郎氏は幕末米沢藩の外交担当として京で活動しており、
鳥羽伏見の戦いが始まって以降、在京中のことを日記に記していました。
それを「戊辰日記」としてまとめ、米沢市史編集資料28号として翻刻、出版されています。
奥羽越列藩同盟側からの一記録として、読むべきものがありそうだと思ったのですが、
その、懐具合が……。(苦笑
今回は上杉景勝、直江兼続の図録2冊と、上杉家文書の図説を買う予定で、
さらにこの「戊辰日記」2,500円也を購入する余裕はありませんでした……。
おまけに図録3冊だけですでに荷物が重いです。(汗

zuroku.jpg

因みにこれら3冊の図録、まだざっとしか目を通しておりません。
そういえば景勝公の遺言は掲載されていなかったなあ。
あれ、どこで見たんだろう……?

上杉博物館を出ると、次は上杉伯爵邸へ。

上杉伯爵邸

明治29年建築当時は、敷地約5,000坪、建坪530坪という大邸宅だったそうですが、
大正8年に焼失し、現在のものは大正14年に再建されたもの。
それでも壁の長さが、屋敷の広さを物語っていました。

伯爵邸・玄関

上杉伯爵邸は、現在お食事処になっていて、米沢の郷土料理を頂くことができます。
しかし時刻はすでに4時半を回っており、お食事という時間ではありません。
…………と、なんと茶房があるではないですか!
ということで、中でお抹茶と上生菓子を頂くことにしました!

受付で注文し、いざ大広間に入ろうとしたとき目に飛び込んできたのが、

米沢の四傑

という文字。

上杉謙信公、上杉鷹山公、直江兼続公、伊達政宗公

そこにはこの4名が掲げられており、まあ予想通り景勝公は含まれていなかったのですが、
わかっていても悲しくなってしまうのがカゲカツィストなのでして……。
っていうかね、米沢に来てからずーーっと感じてたんですけど、
謙信公と兼続公をクローズアップしすぎです!!!
いくら来年の大河が兼続主役とはいえ、いくら兼続が街作りに貢献したとはいえ、
ここは上杉の城下町であって、直江兼続の町ではないと思うのですが。(苦笑
それとも、兼続が米沢城主だったころのことから引っ張ってきてるのかしら。
でもまあこれも、来年末までのこと……だとは思っていますけれども、
それにしてもちょっとね、あまりにもその扱いがすごすぎて……。

お抹茶

何か写真が黄昏色になってますけど、これは電灯のせいだと思います。(苦笑
お庭を眺めて伯爵邸の大広間でのんびりしていたら、
斜め向かいの席から、しきりと「直江兼続は」という言葉が聞こえてきました。
それは観光で山形県内のどこかからいらしたご家族のようだったのですが。

父「直江兼続はさ、上杉謙信と、それから上杉鷹山に仕えたわけだよ」
母「でも鷹山ってずっと後の時代の人じゃないの?」
父「違うよ、謙信で上杉家が没落してさ、それを鷹山が立て直しただろ?」
母「うん」
父「それを補佐してたのが兼続なんだよ、ホラ、うこぎもそうだしさ」

ちょっとちょっと、それ、違いますから!!!
これってやっぱり、謙信公が米沢藩の藩祖とされていることによる誤解じゃないですか?
確かに鷹山公は、景勝公以来の財政逼迫に喘いでいた米沢藩の中興の祖として、
今も広く世界にその名前を残しておられる方ではありますが、
謙信公と鷹山公では200年以上の年月の差があるわけで、そのどちらにも仕えるなんてことは、
いくらスーパーマン評価されている直江兼続公でもムリ。(苦笑
それにまず、謙信公が米沢に来たのは亡くなってからです!
そう、お母さん、アナタが正しい!!!
私は今にも立ち上がってお父上とお話したいところではありましたが、
そんなことができるわけもないので、じっと我慢しておりました。(苦笑
でも最後にお祖母様が、
「今度は新潟のほうに行ってみたいねえ」
と仰ってくださったのが嬉しかった!
きっとお祖母様は、上杉家がお好きでいらっしゃるのでしょうね。
縁の品はあまりありませんが、城跡ならいっぱいあります!
当時と変わらぬ自然もあります!
うぇるかむ とぅー にいがた~~~♪


上杉伯爵邸・釘隠し

上杉伯爵邸大広間の釘隠し。
ちゃんと上杉家の家紋になっていました!
今思えば、伯爵邸の中って見学させていただけたのでしょうか?
日本家屋の素晴らしさは、広間だけでなく廊下と庭にもあると思うので、
可能なら歩かせていただけばよかったー。

初めて米沢にやってきて感じたのは、想像以上に小さな街だということです。
四方を山に囲まれ、商業の拠点となるような港もなく、これといった産業もないところへ、
6,000人とも言われる家臣団を連れて入部してきた上杉家の人々の苦労は、
簡単に想像できる程度のものではなかったろうと思います。
刀や槍を鍬や鋤に持ち替えて、生きていくための戦いが始まる……。
それは、戦国を生きる戦いにも勝るとも劣らない、非常に厳しいものだったでしょう。
そんな上杉家の支配を、米沢の民たちはどう見ていたのでしょうか。
市井の人々の視線にも興味が出てきました。

米沢駅

18時25分発のべにばな1号で、新潟に帰ります。
私の上杉を回る線路はまだまだどこまでも続きます。
次は上越、春日山へ行かなくては!!!

ということで、たった6時間弱の米沢滞在記を6回に渡ってお読みくださり、
本当にありがとうございました。
これより通常記事に戻りますが、洛中洛外図雲井龍雄「討薩檄」については、
後日別記事にて熱く語る予定です♪

9 Comments

木暮兼人  

たぶん

来年の大河まで、気づかないでしょうね>そのお父様(笑)
いや、来年の大河の最終回で間違いに気づくとか・・・

史実を知ってると、直江さんがそんなに
長生きしてるわけでないと気づくんですが、ねえ

そういえば上杉鷹山のドラマって
かつてNHKで放映されていましたよね?

2008/06/05 (Thu) 10:35 | REPLY |   

びびんば  

いろんな

カタリストな男性(中年以上)の語りを旅先で耳にしてきましたが
知ったかぶりな語りで、真実の話に出会ったことはございません(毒)
そのお父さんもまた然りですなあ~(汗)

その話、本当だったら・・・・・兼続は「フランチェン」なのでしょうか?(爆)

「いでよ~!兼続~!」(←景勝君の声で)
「ええお~(いいよ~)!」

・・・・・私、どれだけ好きに毒を吐いているんだろう・・・・(カクッ)

私、二度も上杉伯爵亭に言っているくせに、中に入った試しがございません^^;;;
一回目は、日暮れに到着したため
二回目は・・・・・・(以下省略)

旅行記、お疲れさまでした~^^
本当、米沢って小さいから、上杉軍団をぎゅうぎゅう詰め状態だったというのも頷けましたね~^^

2008/06/05 (Thu) 20:39 | REPLY |   

木暮兼人  

いでよ!

>>びびんばさん
それは鉄人28号でしょうか(笑)

思い込みほど、アテにならないという話。

それにしても米沢の駅は風情があります
今はどこもかしこも駅が綺麗になってしまって
ああいう駅に郷愁を誘われます。

2008/06/05 (Thu) 20:58 | REPLY |   

カタリーナ  

■木暮兼人さん

あわせてレスさせていただきますね。
上杉鷹山、容保公じゃない、筒井くんがやってましたよね。
米沢の駅でびっくりしたのは、ホームが2分割されていたことですね。
1つのホームが前後に分かれていて、
前半分が1番線、後ろ半分が4番線で、私、迷子になりました。(苦笑
途中のローカル線では、本当に小屋だけというような駅もありましたが、
近代的なスタイリッシュな駅が増える中で、
ああいった農道の脇にポツンとあるような無人駅に、私も郷愁を感じます。

2008/06/05 (Thu) 23:48 | EDIT | REPLY |   

カタリーナ  

■びびんばさん

>知ったかぶりな語りで、真実の話に出会ったことはございません(毒)
あららら。そういうもんですかね。(苦笑

>「いでよ~!兼続~!」(←景勝君の声で)
>「ええお~(いいよ~)!」
いやだー、そんなの!(爆
でも想像してしまいましたよ。
それだと上杉家がお笑い集団になってしまう……。(苦笑

びびんばさん、今年中にもう一度米沢行かれるんですよね?
是非そのときは伯爵邸に入ってきてください。
私も今度こそ、洛中洛外のホンモノ見に行きます!

2008/06/05 (Thu) 23:56 | EDIT | REPLY |   

ゆの  

耳がダンボンボ!

どもですぅ~!(^^)
直江兼続公と伊達政宗公の名前を見て
お耳がダンボになっちゃいました!!

しかし、そのお父様・・・
小一時間説教たれてやりたいでございまする(爆)

そして、素敵な図録の感想も
いつかお聞かせくださいましっ☆

2008/06/06 (Fri) 20:54 | REPLY |   

カタリーナ  

■ゆのさん

政宗公はここ出身ですからねえ。
しかし四傑といわれても、政宗は生まれ育っただけとも(以下自粛)……。(苦笑

それはさておき、お父上は力説しておられましたので、
来年大河をご覧になって、「あ、俺間違ってた……」と、
頭を抱えられるかもしれませんねー。
お母上が「だからあのとき時代が違うって言ったじゃないの」などなど、
家族の会話が目に見えるようでございます。(笑

図録は、まだ眺めて喜んでるだけです。(爆

2008/06/06 (Fri) 21:32 | EDIT | REPLY |   

ゆの  

眺めて読む

充分です。
あたしも同じですから(爆)

伊達政宗公は何だかオシャレな感じで
あたしは大好きなんですが、何となく常識のある
信長様に思えてなりません(^^;)
なので、尊敬っているよりは恋な感じで
政宗公の名をきくと反応してしまいます・・・

2008/06/08 (Sun) 18:21 | REPLY |   

カタリーナ  

■ゆのさん

政宗公もお好きなのですね。
語源はともかくも「伊達者」とか「伊達や酔狂」「伊達メガネ」なんていうように、
その名字が使われるくらいですから、事実お洒落だったのだと思いますよ。
政宗の陣羽織とかは、派手で斬新って言われてますものね。

2008/06/09 (Mon) 01:18 | EDIT | REPLY |   

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