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特別展・上杉伯爵家の明治 

稽照殿で戦国時代の上杉家を堪能したあと、足早に上杉博物館へ向かいました。

あ!!!

そういえば上杉神社の境内には、謙信公の祠堂跡があるんだった!
越後で亡くなった謙信公は、甲冑を着せられて、漆を満たした甕に収められたと伝わっております。
そしてそれは上杉家の会津→米沢への移封に伴い、
米沢城の南東の方角に安置されたとのこと。

米沢城址


写真左手奥の辺りはちょっとした丘になっていて、そこに祠堂跡があります。
東南という方角も大切だったのでしょうが、ここからは米沢の町が一望でき、
謙信公は上杉家のみならず、米沢の守り神のように祀られていたのだろうと思いました。
ここはまさしく聖域と呼ぶべき場所だったのではないでしょうか。

上杉博物館では、「特別展・上杉伯爵家の明治」を開催中。
無理してこの時期に米沢まで来たのは、この特別展を見るためでした。
前期は上杉本・洛中洛外図屏風の原本が展示されていたのですが、それには間に合わず。(涙

hakushaku-meiji.jpg


常設展のほうでは簡単に上杉家の歴史が見れるようになっていて、
以前びびんばさんから教えて頂いた文書折りの体験や、鉄砲撃ち体験などがあり、
洛中洛外図を紹介した解説映像なんかもあるんですが、ここでもまた例の研修生軍団と一緒に!
私が一人黙々と文書折りをしていたところ(これが思うように折れないんです)、
それを見つけた研修生が一人、また一人と寄ってきて、いつしか作業台が満員に。
同じところを回っているので仕方ないんですけど、どこへ行っても落ち着いて見れない……。(悲
特別展が開催されているときは文華館(上杉家文書等が展示される)はお休みということで、
ここでは特に景勝公関連のものを見ることはできないとわかったため(苦笑)、
早々に特別展のほうへ場所を移しました!

特別展「上杉伯爵家の明治」は、プロローグ、エピローグを含めて7章から成っていました。

プロローグ「米沢藩上杉家」
謙信公、景勝公、鷹山公、そして直江兼続公の肖像画が展示されており、米沢藩の基礎を確認。
軸に表装されているのですが、意外と小さい肖像画でした。

第一章「米沢藩の崩壊」
幕末、戊辰戦争に関わるものが展示されています。
会津の松平容保公を討つために、米沢藩も仙台藩に協力しろという命令が書かれた、
会津容保追討沙汰書や、奥羽列藩同盟盟約書
そして古今の檄文の中でも白眉と言われている雲井龍雄の「討薩檄草稿」などがあり、
緊迫した時代を伝えてきます。

第二章「明治の幕開け」
米沢藩も新政府軍に降伏し、文明開化の明治がやってきます。
雲井龍雄(小島龍三郎)を集議院議員に任じた集議院達書や、
第13代藩主上杉茂憲(もちのり)公に伯爵位を授けた爵記や、
当時としては慣れないことだったろうと思われる洋装の大礼服などが見られ、
江戸とは明らかに違う、新しい時代の息吹を感じさせました。
爵位って色分けされてたんですね。
上から公・侯・・伯・子・男の五爵にランク付けされ、
それぞれ浅黄の色で表されていたんだとか。
上杉家は伯爵ですので、爵記も枠縁が桃色でした。

第三章「明治天皇の行幸」
明治天皇が地方巡幸で米沢を訪れた際、天覧に供した宝物の数々が置かれていました。
ここに、上杉本洛中洛外図屏風(複製)も展示されておりました。
謙信公所用と伝わる琵琶「朝嵐」や、
明治天皇に献じた太刀のお礼に拝領した唐草毛彫菊紋銀杯
またそのときの部屋の様子を写真に写した明治天皇行幸米沢行在所など、
いよいよ天皇を中心とした「日本」という一つの国に変わっていくことを窺わせます。

第四章「沖縄県令上杉茂憲」
第五章「上杉家の地域貢献」

ここからは写真も多くなり、当時の上杉家の人々を目にすることが出来るようになります。
廃藩置県に伴い、旧藩主は東京への移住を命じられ、
そこから新たに旧藩とは縁のない地方へ「県令」として派遣されることになりますが、
上杉家最後の藩主であった上杉茂憲公は、沖縄県令に任じられました。
そこでしたためられた上杉県令沖縄本島巡回日誌や、子供たちと一緒に撮影した古写真
米沢に戻ってからは蚕業学校の創立にその費用を寄付し、そのとき受けた褒状もあり、
戦国、江戸期とは全く違う行政のあり方を垣間見ることできました。

エピローグ「上杉伯爵家のその後」
現当主上杉邦憲氏の赤ちゃん時代をとらえた上杉憲章/隆憲家族写真が印象的でした。

こうして一つの家に視点を据えて時代の流れを見ていくと、物事は局地的にはなりますが、
それがかえって歴史の流れを把握しやすくするものなんですね。
上杉家は江戸期を通じて財政難で、宝物も文書も整理する余裕すらなかったと、
2月に訪れた新潟県立歴史博物館の学芸員の方が仰っていましたが、
本当に上杉家は物持ちがいいというか、よくぞここまでちゃんとした状態で、
これらの貴重な史料を保存していたものだと感心します。
特に謙信公、景勝公辺りのものをきちんと保管していたということを思い、
主だった藩主の方々をざっとですが目を通してみると、
上杉家というのはその血筋を守る、保つということよりも、
謙信以来の上杉家の家風とか、家訓みたいなものを守るほうが大切だったのではないか、
それを守り伝え、実行することこそが、当主の務めだったんじゃないかと感じました。
私は謙信公が時々米沢藩の藩祖とか初代(これ明らかに違うし)とかって書かれることに、
実は非常に違和感があったんですが、このことに思い至った今、
米沢藩が上杉家に代表される以上、
謙信公はやはり藩祖で初代でとせざるをえないのかもしれないと考えが変わりました。

ふー、たった5時間くらいの出来事なのに、5日書いても終わらねえ。(汗
でも、明日で一応紀行は終わります!!!
(つまり、紀行以外はまだあるということ・苦笑)
「藩祖」ではあるわなあ・・・と思うようになってきました^^;;
何年経っても、謙信は「上杉家の精神的支柱」ですからね~
私は上杉家中を称して「謙信教徒」と呼んでおります(爆)
宗教と言うほど宗教でもなく、先祖崇拝と言うほど先祖崇拝でもない・・・やはり「謙信教」・・・・
死してなお上杉家を守ったと言っても過言ではないですからねえ~^^

ところで、さすがに的確な説明をされますねえ~
この間のことが鮮明に思い出されました^^;;;
私の旅行記とは大違いだ!!(爆)
[ 2008/06/02 21:02 ] [ 編集 ]
>「謙信教徒」
言いえて妙ですね。(笑
確かに、「謙信公が見ていてくださる」と思えばこそ、
どんなに辛いことも、上杉の誇りを持って乗り越えることができたんじゃないかとは思いますね。
ただ藩祖っていうのはどうなんでしょうねえ。
上杉家の祖としてなら異論ないんですが、米沢藩の藩祖となると、
それはちょっとどうなのかなあと、やっぱりまだ違和感が。(苦笑

なんだかお褒め頂いて恐縮です……。
的確というより、なんの捻りもないそのままの感想なんですけど。(汗
私もびびんばさんの旅行記のように、まるで一緒に旅してるような面白いのが書けたらなあ。
[ 2008/06/03 01:44 ] [ 編集 ]
第二章に興味津々です(笑)。
雲井さんの筆跡はいかがでしたか?
ダイナミックだったのかしら、それとも繊細な感じだったのかしら。
…すみません、上杉家よりも幕末米沢藩が気になる
幕末スキーです(苦笑)。

血筋よりも家訓の継承に重きがあった…といわれると、
なんだかストンと落ち着きますね。
それだけ謙信公の信念とカリスマ性が強烈だったと
いうことなんでしょうけれど。
でもそれがご子孫により連綿と受け継がれているのが
我ら現代人にとっても嬉しいですよね。
丁寧に保存していてくれてありがとーー♪という感じですvv
[ 2008/06/03 12:44 ] [ 編集 ]
私もこの展覧会は第一章&二章が狙いでしたから、たくさんの展示物に大満足でした。
雲井龍雄氏の筆跡は、繊細……の部類になるのかな。
草稿にもかかわらず、非常に几帳面に書かれていた印象があります。
大名家は特に、養子で家を繋いできたと思うんですが、
その点上杉家は、「血」だけでなくやはり謙信以来の家風をいかに受け継ぐかというのが、
当主には求められていたんじゃないかと思います。
またその家風があったからこそ、上杉家というのは明治まで存続できたのかもしれないと思いました。
[ 2008/06/03 21:50 ] [ 編集 ]
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