燃えるピアノ……

ジャズピアニストの山下洋輔さんが燃えるピアノを弾いて話題になっておりますけれども。

今の時代、そういう表現方法もあると思うので、単純にパフォーマンスの1つだとすれば、
「すごいこと考える人がいるもんだなあ」で終わるのですが、
「古くなったピアノへの感謝と供養の思いを込め」
という言葉があったもんですから、どうにも気分が落ち着かなくなってしまいました。

一楽器弾きとしては、楽器が燃えるというのは非常にショックなことです。
楽器というのは、自分の持っている想いだとか感情だとか、
そういう非常に個人的なものを吸い取って音を出していると私は感じています。
泣いたり笑ったり、時には怒りをぶつけたり、
そうやって苦楽を共にしてきた楽器はいわば分身のようなものですから、
それが燃えるということには、耐え難いものがあるのです。
自分の半身が燃える……そんな感覚です。

燃える楽器を弾くというステージが、単純にアヴァンギャルドな表現で、
そのスペクタクル性を売りにしているのであれば、それはそれで理解もできるのですけれど、
廃棄処分になるばかりのピアノに対し、まず僧侶が経を上げ、
「供養」と称して点火したとなると、これはもはやパフォーマンスではなく、
ある意味「楽器を荼毘に付す」というようなものに感じてしまいます。
そんなこの世での役目を終えた物が燃えるところを見世物にするなんて、
やっぱりちょっと許せないなあという思いを抱いてしまうのです。
お葬式でも、「最後に故人とお別れを……」というのがありますけれど、
私はあれがすごく嫌いです。
どんなに親しくても、身内でなければ、棺に納められた姿を見に行ったりは絶対にしません。
だって、自分が死んだ姿を見世物にするなんてすごくイヤだもの。
元気なときの姿を記憶していればいいじゃないですか?
そういう気持ちがあるから、このニュースに抵抗感を持つのかな。

「供養」なんて謳っていなければ、さらっと受け流せたニュースだったんですけどね……。

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