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後継者は誰か? 

新潟県妙高市の鮫ヶ尾城跡から、戦乱で焼けたおにぎりが出土したニュース。
ローカルネタかと思っていたら、結構注目を浴びたようで、
このブログもその件でいろいろな方のご訪問をいただきました。(ありがとうございます!)
さてそのおにぎりですが、新潟県立歴史博物館で展示されているので、
早速見に行ってきました。
本当はこんなに早く見に行くつもりじゃなかったんですが、常設展示の解説が、
「新潟県のあゆみ」中世の新潟  「上杉謙信と景勝」
だったものですから、いやこれは行かねばなるまいと。(笑
長岡駅で己鏡のびびんばさんと合流して、いざ出陣!
長岡は思っていたほど雪がなく、タクシーの運転手さんに、
「この雪は融けたほうですか?」と聞いたところ、
「積もったほうです」との答えだったので、この冬、街方はやはり小雪のようです。

さて、おにぎり。

鮫ヶ尾城跡出土のおにぎり

部屋の中央に展示されておりました。(写真撮影は可能です)
この「おにぎり形炭化米」4点は、平成18年6月の発掘調査で出土したとのこと。
調査により、米の塊であること、炊かれた飯であること、
手で握ったようなカーブがあること、表面の飯粒が外圧で潰れていること、
笹のような植物の上に置かれていたか包まれていた痕跡があることから、
「おにぎり」に間違いないとの結論に至ったそうです。
また年代測定でも、1470~1640年の間との結果が出ており、
1579年の戦火(御館の乱)で焼けたものとして矛盾がないとありました。
因みに麦や雑穀類は混ぜられておらず、米100%のおにぎりだそうです。
それっておそらくこの時代には珍しいはずですから、
ということは、死を覚悟しての餞のためのおにぎりだったのかしら……。

おにぎりの1つをアップしてみます。

鮫ヶ尾城跡出土のおにぎり・アップ

見た目は焼けたおにぎりというよりも、本当に「焼きおにぎり」のような感じで、
思っていたよりも随分と小ぶりでした。
本当に手のひらサイズといったところでしょうか。
甲冑や書状なら残っていても不思議ではありませんが、消えてしまうはずの食べ物が、
400年以上の時を経て今目の前にあるというのは、何とも表せない奇妙な感覚です。

常設展示では、学芸員さんから「上杉謙信と景勝」という魅惑的な題材を、
約45分にわたってお話いただきました。
謙信の父・長尾為景、謙信、景勝という三代に渡る越後支配の大まかなお話と、
謙信は誰を自分の後継者と考えていたか、というあたりがメインだったのですが、
いっぱい所蔵しているという景勝さまの書状が、1点も展示されていない!
「それは、どういうことデスカ!?」
解説テーマと展示物が一致していないって、どういうことデスカ!?
「景勝のものは去年たくさん展示してしまったので、今は別なもの出してます」
えーーーーーーーーーーー。(泣
それなら解説のテーマをもうちょっと考えようよー、期待して来ちゃったじゃない!

このおにぎりが焼かれた「御館の乱」は、
上杉謙信が自分の後継者を明言あるいは明文化していなかったために起こるのですが、
謙信自身がどう考えていたかは、
1…上杉三郎景虎(北条氏からの養子)後継者説
2…上杉景勝後継者説
3…三郎景虎・景勝二人後継者説

と、諸説あって確かなところは分かっていません。
この学芸員さんのお考えでは、景勝後継者説のようでした。
謙信は、最初は景勝を後継者と考えていた。
その後北条氏から三郎がやってきて、とても気に入ったので自分の旧名(景虎)を与え、
こちらを後継者にしようと考えた。
ところが北条との越相同盟が壊れたことにより、三郎の立場が微妙になった。
そこで景勝に弾正少弼の官途を譲り、再度後継者として考えるようになった。
弾正少弼の官途を譲った件は、証拠とされる書状が景勝の筆によるという説もあり、
「でっちあげ」という見解の方もいらっしゃるようですが、
いくつかの史料を見ていくと、「書状はどうであれ、譲ったことは譲ったらしい」そうで、
そうだとすれば、私も景勝を後継者と考えていたのかなあと思います。
というのも、景勝は謙信の養子に入ったと言われているものの、
確かこの弾正少弼をもらうまでは、ずっと実家の「長尾姓」だったんですよね。
ということは、もし謙信が三郎景虎のほうを後継者と見ていたのなら、
三郎が来たあとで、景勝にわざわざ「上杉姓」を名乗らせなくても良かったはず……。
二人後継者説もありえなくはないですが、勢力が二分されてしまうのは明らかだと思うし、
対外的には有効な手段かもしれないけど、実際問題どうなのかなあと思ったり。
わからないだけに、いろいろと考えたくなります。
でも、結局当時もそれがわからなかったから、戦になっちゃったんですよね。

あ~、すっごい長い記事になっちゃった。(汗
景勝さまといえば「関が原」ではあるけれど、「御館の乱」もそれに勝るとも劣らずの、
興味の尽きない事件だと私は思います。

最後にびびんばさん、お疲れ様でした&ありがとうございました~♪
[ 2008/02/04 19:37 ] 上杉氏(史料・資料) | TB(0) | CM(4)
ありがとうございましたm(_ _)m
私も先程、記事をアップしましたが・・・
カタリーナさんのすっごく懇切丁寧な記事に・・・・乗ってしまいました(爆)
すみません^^;;;
景勝&景虎後継者説の話を聞いていたら、
「もしかして、謙信って、その時の気分で後継者をほのめかしていたのかしらん?」
と恐ろしい発想をしてしまいましたv-12
「今日は、景勝の気分・・・・明日は景虎の気分・・・あ!やっぱり、ふたりに均等に分けちゃおうかな~」と・・・
学芸員さんの「謙信はきまぐれだから」発言が気になってしまいまして・・・^^;;;

それはともかく・・・(←!?)
最後までお付き合い下さり、本当にお疲れさまでしたm(_ _)m
[ 2008/02/04 20:51 ] [ 編集 ]
「謙信は気まぐれ」発言に、私は「やっぱりそうなのかー」と思っていました。(苦笑
謙信の書状の筆跡は、相手とか気分で使い分けてるっていうのを読んだことがあるんです。
ということは、後継者もそのときの気分で……?(汗
だから遺言は書けなかったのかー。
「また気が変わるかもしれないし?」って。

こちらこそ、行くきっかけを下さりありがとうございましたm(__)m
またどこかでご一緒しましょうね~。
[ 2008/02/04 22:27 ] [ 編集 ]
こんばんは、カタリーナさん♪
早速、噂の焼きおにぎりをご覧になったのですね!
詳しい解説つきの記事アップ、ありがとうございます!!

私もこちらの記事を拝見して、博物館の常設展示の解説に
思わず腰を浮かせてしまいました(苦笑)。
紛らわしいですわ学芸員さん!

>米100%のおにぎり
なんだか切なくなりますね…。
カタリーナさんの仰る通り、書状や甲冑ならわかりますが、
食べ物が発掘されて目の前にあるというのはなんとも不思議な感覚ですね。
そしてそれが「食べられずに」残っていたということを考えると、またちょっと切なくなったり…。
[ 2008/02/05 00:22 ] [ 編集 ]
常設展示の解説、やはり「!!!」となられましたか。(笑
解説自体はまあ想像通りといったところだったのですが、
何しろテーマの景勝さまのモノが1つも展示されていないというのは、
私的には「オー・マイ・ガーッ(;O;)」でした。(泣
いずれリベンジはかるつもりです。
食べられることがなかったから、今ここにおにぎりがあるんですよね。
本当に、切なくなりますね。
[ 2008/02/05 22:26 ] [ 編集 ]
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