「ネロ」と「滅びの美学」

日本人で、「フランダースの犬」を知らない人はいないと思います。
ウィーダの童話を読んだことはなくても、
「アニメ特番」の「感動と涙の最終回!!!」というようなコーナーで、
少なくともラストシーンは見たことがあるはず。
何でかわからないけど、何回見てもウルウルしちゃうんですよね、このラストは。
ところがご当地ベルギーでは、ほとんど知られていないのが現実。
つい数年前に、アントワープのノートルダム大聖堂前の広場に、記念碑が建てられたのも、
日本人観光客からの問い合わせがあまりに多いからで、
その問い合わせで初めて「フランダースの犬」という作品を知ったアントワープ市民も、
かなり多いと聞いてます。

そんな作品を検証するドキュメンタリー映画が、DVDとなって発売されたとか。

ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、
クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を、
“検証”するドキュメンタリー映画を作成した。  (読売新聞より)


記事によると、作品監督のディディエ・ボルカールトさん(36)は、
欧州では「負け犬の死」(監督談)として評価されることのなかった作品が、
なぜ日本ではこれほどの共感を得るのか、その謎を解くために、
資料発掘に加え、世界6か国での100人以上に及ぶインタビューを行い、
その謎の答えは【日本人の心に潜む「滅びの美学」だった】とし、
またプロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36)は、
日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、
ある種の崇高さを見いだす。

ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけている、としています。

滅びの美学ですか。
うーん、DVDを見ていないのではっきり言うことはできませんけれども、
ちょっと違うんじゃないかなあと思うんですが、どうでしょうね。
「滅びの美学」というのはどのような定義に基づいているのか定かじゃありませんが、
私の個人的イメージからいくと、「滅ぶとわかっていて、それを受け入れる潔さ」だとか、
「平家物語」の「諸行無常、盛者必衰」とかなんですよね。
そこにあるのは日本人独特の「義」だったり「諦観」だったりするんだと思いますが、
それとネロの死は結びつかないような気がするんですよ。
「滅ぶことを受け入れる」といっても、そこへ行き着くまで何もしないわけではなく、
戦って戦って、流れを止められないとわかったときにそれを認め、自ら滅びることを選び取る。
それが「滅びの美学」じゃないかなーと思うんですよ。
どこか、「生きるために死ぬ」みたいなところがありますしね。
でもネロは力尽きてしまっただけで、決して自ら「死」に向かったわけではありません。
日本人が「滅びの美学」に憧れるとしたら、それはそこに切なさを感じるからですよね。
「フランダースの犬」に涙するのも、そこに報われない切なさを感じるからで、
その点共通するものがないわけではないです。
(パトラッシュが後を追うってところにまた涙するわけですが、そこは置いといて)
ただ、この「切なさ」は志半ばで斃れるということに対してであって、
いわゆる「滅びの美学」というのとは、根本的なところが違う気がします。
そういうわけで、この記事を読んでちょっと違和感持ったんですけれど、
外国人が結論づける「滅びの美学」というものには非常に興味があるので、
ちょっとDVDを見てみたいなあと思いました。

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