モツレクのロマン

モツレク(モーツァルトのレクイエム)の演奏会に行ってきました。
考えてみたら、これまで数々の演奏会に出かけていながら、
モツレクを生で聴いたことがなかった!
今年はモーツァルトの生誕250年、多くの団体がモツレクを取り上げていますが、
そうでなければ、さすがにレクイエムということもあって、
演奏される機会はさほど多くないんでしょうね。

モツレクといえば、やはり思い出されるのは映画「アマデウス」。
TV吹き替え版でモーツァルトを担当した三ツ矢雄二の強烈な笑い声とともに、
肉体的にも精神的にも追いつめられたモーツァルトが、
追い立てられるようにレクイエムを作曲していく様は、子供心にも訴えるものがありました。
実際は、モーツァルトは生前にレクイエムを完成させていないし、
レクイエムを依頼したのはサリエリなんかじゃなく(ましてや手伝ってもいない)、
著名な音楽家に作曲をさせて、それを「これはわしの作品じゃ」と演奏するのが趣味という、
まことに贅沢な(?)趣味を持ったおじさん(伯爵)の手の込んだ依頼だったわけですが、
ここで見たレクイエムを書くという「恐怖」は、そう簡単に拭えそうもないほどの、
超特大インパクトを残しました。

さてこのレクイエム、モーツァルトは全体の半分も仕上げることができずに世を去ります。
結局弟子のジュスマイヤーがモーツァルトの指示に従って完成させたわけですが、
所詮他人の手によるものであることは如何ともしがたく、批判も多ければ、
修正版や補筆版もいくつも出ている状態です。
指揮者によっては1つの版に統一せず、ここはコレ、ここはあっちの、
「ここは自分で補っちゃえ」と一種つぎはぎをしていることもあるらしく、
要するにモーツァルトの完全版ではないからこそ、
「モーツァルトであればどうやったのか!?」という想いが、
日々研究者や演奏家の心を熱くさせるわけですね。
初めてモツレクを生で聴きながら、改めてモーツァルトの天才ぶりを確認しつつ、
「モーツァルトはこのレクイエムを、本当はどんな風に仕上げたかったのかなあ」と、
私もちょっとロマンを追いたくなってしまいました。
永遠に解決することのない謎。何だかドキドキします。

2 Comments

ユナ  

大好き!でした

 モーツアルトのレクイエム大好きでした。初めて聴いた時、なんて悲しくも美しい音楽だろう、と思いました。それこそ言葉では絶対表現できないものを表現している・・・と思いました。普通は自分の能力のなさに絶望するのだけど、この時は素直に、言葉でとうたつできないものがあるんだ・・・と逆に感動した記憶があります。
 「アマデウス」テレビかなんかで見たはずだけど、ほとんど覚えていません。あの甲高い笑い声の他は。あと、王様か誰かの前で弾いていたピアノの曲のメロィーだけは思い出せるんですよね。すごい途切れ途切れの記憶(苦笑)。私もいつか生で聴いてみたいですモツレク!っていうと食べ物みたいですね。(単に食い気か・・・ごめんなさい。)

2006/09/04 (Mon) 20:53 | REPLY |   

カタリーナ  

■ユナさん
モツ鍋
モツ串焼き
モツレク

並んでいても、何ら違和感ありません。(笑
冗談はさておき、やはり絶筆になる作品には特別な力が宿っていると感じます。
モツレクしかり、マーラーの交響曲10番しかり…。
どこかこの世を超越した音楽に聴こえます。
このレクイエムの場合、モーツァルトが完成させたのは合唱とバスパートのみで、
オーケストラその他は、全部お弟子さんの手によるものなんです。
もちろんモーツァルトの指示はあったわけですが、
絶筆になった「涙の日」などは、9小節以降の指示がなく、
ほぼ弟子ジュスマイヤーの作ということになっています。
そうすると、やっぱり本来のモーツァルトの音を知りたくなってしまうんですよね。
天才の遺業を継ぎ、完成させたジュスマイヤーは素晴らしいですが、
やはり「死」を目の前にした人が作り出すものとは違うのではないかと。
それがモーツァルトであれ誰であれ、やはり特別な力が働く気がするからです。

2006/09/05 (Tue) 01:34 | EDIT | REPLY |   

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