おんな城主直虎

今年のNHK大河ドラマ「西郷どん」が始まっていますが、
いまさらながら、昨年の「おんな城主直虎」の感想でも書いておこうかなあと思います。

開始前は、森下佳子さんの脚本という期待はあったものの、
スタッフの話と、あまり史料のない人物であることを合わせると、
どうしても不安視せざるを得ない状態でした。
そして始まって数話くらいまでは、見続けるか悩んでいたのも事実でした。
ところが。

最終回、不覚にもまさかまさか号泣するという。

終わってみると、実に屋台骨のしっかりした、「家族で見る大河ドラマ」になっていました。
この作品が成功したのは、
少ない史料から、史実を壊さないように家族ドラマを構築したことはもちろんですが、

●主人公にこだわらなかった(後半は直政がほぼ主役)
●井伊家の話に集中した(有名武将に媚びなかった)

という2点ゆえではないかと思うのです。
ここに付け加えると、脚本のテクニック、各回のラストの引きが見事でした。
いつも次回に期待を持たせる終わり方で、中村梅雀さんの「つづく」というナレーションも、
その効果に大きく貢献していたと思います。

私は大河のOPは「その主人公の一生を象徴している」と思っているのですが、
今回は一部で「植物図鑑」と言われていたOP映像の意図が、ずっと読み取れませんでした。
音楽は躍動感の中に優しさがあり、穏やかながら力強さがあり、とても素敵な一曲でしたし、
「おんな城主」とはそういう人生を歩むのだろうということも感じてはいました。
しかしこの映像が象徴するものは……?
そして最終回、すべてに合点がいったのです。

おんな城主とは、「母」だったんですね。

直虎は実子を持つことはなかったけれど、「だからこそ皆が我の子だ」というような台詞もありました。
井伊家にとっての母であり、井伊の民にとっての母であり、井伊谷という土地の母である。
子を育て、子を守るために、母は命をかけて奔走しました。
その結果、民は増え、土地は豊かになり、井伊直政という実をつけて、花が開いていった。
後半はほとんど直政が主人公みたいなものでした。
だからこそ、徳川や織田と絡んでも無理がない展開になったわけですが、
その分、直虎の出番は極端に減っていったと思います。
しかし直虎の存在感は揺らぎませんでした。
前半で築いた土台があったからこそ、たとえ出番が少なくても、
「後ろにはいつもちゃんと井伊の母である直虎が控えている」という、心強さを感じさせました。

そうして「母」としての役目を終えたとき、
自分のことを一番心配してくれていたふたり、鶴と亀が迎えに来てくれるのです。
ここで私の涙腺が予告なく決壊しました。
「母でいることは、どれだけ大変なことだっただろうか」と。
1年見続けたからこそ、ここにたどりつけたのだとつくづく思います。

最後にミーハーな視点で振り返ってみると、
みなさんが「政次ロス」なんて涙しているときも、私はずっと傑山さん一筋でした。
いつも腕まくりをして上腕二頭筋を披露していたのはサービスだったと思いますが(笑)、
冷静沈着で物静かで、いつも主人公をそっと見守っていてくれる。
そこにはただ慈愛があるのみ。
腕っ節だけでなく、本当の意味で強い人なのだと思います。
あとね、その見守り担当だったからこそ、いつも子守係だったのも胸キュンポイントでした。

朝ドラ大河と言われていたのもよくわかるテイストではありましたが、
1年間というスパンを見据えてきちんと練られた佳作だったと思いました。

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