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国宝 ~長崎紀行6 

小分けにUPしたおかげでなんと第6回を迎えてしまった長崎紀行。
今回は国宝訪問です。
調べたところによると、現在九州には国宝(建造物)が5つあり、そのうち3つが長崎にあるんだとか。


まず1つ目が大浦天主堂
正式な名称は「日本二十六聖殉教者天主堂」です。

大浦天主堂

グラバー園の隣に建つ大浦天主堂は、
来日したフランス人のフューレ、ジラール、プティジャンの3神父の指導により、
元治元年(1864)12月29日に俊工、翌年慶応元年(1865)2月19日に落成した、
現存する中では日本最古のカトリック教会です。
正式名称の通り、日本二十六聖殉教者に捧げられた教会で、
当時はその外観の珍しさから、近隣からの見物客がいっぱいいたようです。
日本二十六聖殉教者は秀吉が出した禁教令によって処刑されたキリシタンたちですが、
私はここへ来ると遠藤周作の「沈黙」を思い出します。
あれはもっと後の時代の話ですが、読んだ当時主人公が実在の人物と知らなかったので、
転びキリシタンという事実がとてもショックでした。

天主堂

信徒の増加にともなって教会が手狭になり、明治に入って拡張工事をしたそうですが、
正面に大きく掲げられた「天主堂」の文字が、
まだ教会が一般には未知の建築物だった時代を象徴しているように思います。
HPを見たら、キリシタン資料室というのが併設されていたようなんですが、
気づかずにスルーしてしまいました。
踏絵なんかを見ることができたようで、惜しいことをしました。


続いては聖寿山崇福寺です。
こちらは長崎に在留していた福建省出身の人々が、故郷から超然という僧を迎えて開山しました。
寛永6年(1629年)の創建で、中国様式の寺院としては日本最古のもの。
どうも幕府のキリシタン弾圧を受けて、中国の人たちは「仏教徒である」ことを証明するために、
こうした寺院を建てていったという背景があるようです。

崇福寺三門

三門はこの面白い形から「竜宮門」と言われているそうで、
開山よりも200年以上後、嘉永2年(1849年)に建てられたそうです。
本当に乙姫様が住まっていらっしゃいそうな門ですよね~。
ちなみにこれは国宝ではありません。(重文指定は受けています)


国宝はまずこちらの第一峰門。
海天門、唐門、赤門などとも呼ばれるそうです。

第一峰門

朱でもなく紅でもなく赤でもない、この赤に属する色は中国独特のものだなあと思います。
ここで目を引くのは軒下の「四手先三葉共(よてさきさんようきょう)」と呼ばれる詰組でしょうか。(*注釈)
吉祥模様が鮮やかに描かれています。

第一峰門の軒下

この門をくぐるとさらに国宝が待っています。
本堂の大雄宝殿。
御本尊様は釈迦如来です。

大雄宝殿

長崎市内に残る最古の建物だそうですよ。
特徴は軒にぶらさがってる「擬宝珠付き垂花柱」とのことですが、
中国の建築様式にはよく見られるもののようですね。

擬宝珠付き垂花柱

ここは擬宝珠付きということでわりとシンプルなデザインですが、
調べてみたら結構派手な装飾がされているものもあるようでした。
崇福寺はとにかく全部国宝か重文なので、中国の建築様式に興味のある方にとっては、
本当に垂涎の建物ではないかと思われます。
私ももっと中国または仏教の建築様式に明るかったら、
この訪問はさらに興奮したものになっただろうなあと思います。
それだけ、素人目に見ても圧倒的な存在感を誇る禅寺でした。

ちなみにここ、「龍馬伝」のロケが行われたところなんですが、
旅行中にはまったくそれが思い出せなかったものの、写真を整理していておぼろげに思い出しました。
そういえばこの赤い中で龍馬と高杉晋作が話していたっけ……。
そちらの方は、ぜひAkiさんのレポでご堪能くださいまし。(丸投げ!)

日本最古のカトリック教会と、市内最古の寺院が残る長崎という町。
唐人屋敷があって、外国人居留地がある町。
そこが日本の他の都市とは全く違う趣を持った、「日本の中の異国」だったことを肌で感じました。
江戸時代、何かを成し遂げたいと思う人たちがこの地を目指したこともよくわかるし、
彼らが何度もここを訪れたくなったのもまたわかるような気がしますね。

(*)四手先三葉共→「共」の字は正しくは木偏に共
[ 2011/10/15 12:39 ] 史跡めぐり | TB(0) | CM(2)
九州にある貴重な国宝…。
訪れた当初はそんな知識など全くなく、
今から考えるとかなり勿体無い回り方を
してしまった気がします(苦笑)。
崇福寺に至っては、アカデミックな見学の仕方どころか
完全にミーハー路線に転んでいたし(泣笑)。
や、ワタシ的にはある意味、超満足でしたが☆

ああ…踏絵が見てみたかった。。。
[ 2011/10/20 23:52 ] [ 編集 ]
私も今調べました。(爆
建築は守備範囲外なので、
国宝であることは知っていてもどの辺が貴重なのかとか、
まったく把握してないんですよね。(汗
でも別な面で満足しましたし、これはこれでいっかなーと。(笑

ええ、踏絵は見ておくべきでした……。
[ 2011/10/24 00:30 ] [ 編集 ]
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