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「敵討」 吉村昭 著 

先月放送していた「遺恨あり~明治十三年最後の仇討」がとても良いドラマだったので、
吉村昭の原作を読んでみることにしました。

本には2編収録されていて、最初が本書タイトルにもなっている「敵討」
こちらは天保の改革(天保年間1830-43年)を背景に、
伊予松山藩士熊倉伝十郎が、殺された父と伯父の仇を討つ話です。
熊倉伝十郎は苦節8年、仇を討つことに成功します。
当時仇討ちは武士にとって称賛に値する行為でした。
それと同時に、武士であれば仇討ちするのが忠孝であるという思想もありました。
仇討ちをするために藩から永の暇をもらい、どこにいるかもわからない仇を探し歩く。
運よく仇を討てる確率は非常に低く、たとえ討てたとしてもどれほどの年月がかかるかわからない。
仇が討てなければ帰藩はかなわず、そのまま世に紛れて暮らさざるを得なくなります。
残された家族が肩身の狭い思いをすることにもなります。
初めは憤りや憎しみという感情に押されて仇討ちの旅に出たとしても、
1年、また1年と仇を求めてさまよううちに、次第にそうした日々に倦み、
初めの感情が薄れてきてしまうのは当然のことと思われます。
仇への怒りとその仇が見つからないための諦めという2つの相反する感情の間で、
この松山藩士熊倉伝十郎も思い悩みます。
そんな彼を支えていたのは、仇が討てなければ帰藩できないという現実的な問題と、
もう1つ、武士としての矜持であったように思います。

敵討 (新潮文庫)敵討 (新潮文庫)
(2003/11)
吉村 昭

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一方、ドラマになった2編目「最後の仇討」は、明治維新を背景に描かれています。
秋月藩士臼井亘理は幕末期における藩内の対立から妻とともに暗殺され、
息子の六郎が両親の死から13年後にその仇を討つ話です。
ドラマとは違い、六郎は生活を切り詰めて切り詰めて、独り孤独にひたすら仇討の機会を待ちます。
ドラマを見たときは、明治維新によって武士という存在が消滅した時だからこそ、
仇討ちという行為がより武士の矜持を表しているものと思ったのですが、
原作では、六郎の仇討の意志を支えていたものが敵への強烈な憤怒であったことが意外でした。
父と母を惨殺されたのは六郎が11歳のとき。
それを思えば彼の仇討が文字通り復讐であり、
「武士にとって仇討ちは美徳である」という江戸時代の風習は単なる建前、
あるいは免罪符にしか過ぎなかったとしても不思議ではないのかもしれません。

この2作は一緒に収録されていることに意味があると感じました。
江戸末期における仇討と明治の仇討では、
本質的なものが変わっているというのは実に興味深いものです。
そして2人の主人公に共通しているのが、どちらも仇討を目的に生きてきたがために、
それを達成した後の人生が空虚であること。
このことは、現代の私たちにも何かを考えさせるのではないでしょうか。
[ 2011/03/29 22:31 ] 時代・歴史物 | TB(0) | CM(2)
同じくドラマ視聴→原作読破組!です。
同じく記事にしようといたら・・・長くなってしまって(苦笑)
ただ今、ダイエット中です(爆)

同じ「仇討」を題材にしていながら、違う側面が浮き彫りになる良作だと思いました。
[ 2011/04/01 10:05 ] [ 編集 ]
この2作は同時収録というところが良かったですね。
記事のダイエットは終わりましたでしょうか。(笑
お待ちしております~。

[ 2011/04/04 22:13 ] [ 編集 ]
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