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スペイン無敵艦隊復活! 

みなさんおはようございます。
今日は3時半起床で、さすがに眠いです……。

EURO2008決勝、スペイン優勝おめでとう!

それにしても、予想通りの展開となってしまいましたわー。
ベスト4がそろった段階で、「松平の野望 ~天下創世記~」の元康さんのところで、

ドイツ vs スペイン  0 - 1

と予想していたワタクシ。
今回のスペインは、スペインの最大の武器である超絶技巧パス回しに加え、
守備もかなり徹底した試合を展開しており、
守備に大きな不安の残るドイツとしてはかなり苦しいゲームになるだろうと思っていました。
スペインの技とスピードから生み出される攻撃を防ぐのに精一杯で、
そこからドイツが攻撃態勢に入るのは非常に難しいと感じたからです。
しかもスペインは以前に比べて守備にかなりの力を注いでおり、
たとえ攻撃の起点が作れたとしても、ドイツがそれをモノにするのは容易ではないなと。
しかしいくらドイツの守備がとっても不安……とはいえ、
決勝という舞台で簡単に突破させるほど壁が脆いとは思っていませんでしたから、
スコア予想を0-1としたのでした。
まさかその通りになるとは…………。
とはいっても、「よく失点を1に押さえたなあドイツ」というのが正直な感想。
あれだけ抜かれまくりながらも、最終的には1度しかゴールを割らせず、
「よくぞ守ったもんだ」と、そんなところにゲルマン魂を見た思いです。
だけどドイツはパスも通らないし、正確なクロスさえ上げさせてもらえないし、
スペインには完全にしてやられましたね。
今回のスペインは本当に強かったし、完璧で素晴らしいサッカーをしていたと思います。
長年ドイツを応援していますが、毎回裏カードみたいにスペインも応援しているので、
今回の結果は歓喜と無念が半々といったところでございます。(苦笑
しっかしドイツ、何でラームを変えたんだろうなあ。

それにしても不満なのは日本の地上波放送。
日本の風潮がサッカーに関してはアンチドイツであることはわかっていますが、
あれほどスペイン寄りな番組作りをされますと、さすがに気分が下降線を描きます。
ドイツは低迷期から徐々に這い上がってきて、2006年W杯3位。
EURO2008準優勝。
きっと次の2010年W杯では優勝してくれることでしょう。
バラックの永遠のシルバー・コレクター伝説に終止符を打つためにも!
[ 2008/06/30 06:36 ] スポーツ | TB(0) | CM(12)

越後・与板衆 

先日法事に出席しまして、頂いたのがこれ。

越後・与板衆


日本酒『越後・与板衆』です。
長岡市の中川酒造さんが作っている、地元限定販売のお酒。
直江兼続公の居城があった与板のお米100%と、
やはり地元の天然地下水である「水天蔵」から取った水を使った純米吟醸酒です。
杜氏は与板の吉岡孝太郎さん。
封には小国和紙を使用しているそうですが、越後小国町は、
直江兼続の弟である小国改め大国実頼が城主だったところですね~。
原料も作っている人もなにもかも丸ごと与板衆な1本のようです。

ラベルは直江兼続公の軍旗に採用されていたという三ツ山。
そして封には家紋の「亀甲に花菱(はなびし)」が入っております。

日本酒・与板衆の封


情報によると、どうも数年前から作られていたそうですが、
大河決定を受けて俄かに注目が集まった様子。
因みにまだ飲んでません。
新潟のお酒だから……多分すっきり系かな?

夏にはいよいよ「上杉景勝」というお酒が出るとのウワサ。
こちらは超辛口でお願いしますよ、酒蔵さん!
[ 2008/06/28 22:02 ] 食・グルメ | TB(0) | CM(8)

なんじゃこりゃ。 

EURO2008準決勝、ドイツvsトルコ。
試合中継を見れる環境にない私に、お友達から、
「ARDかZDF(ドイツのテレビ局)のWebから見れるはず」
とのメールをもらい、さっきZDFを覗いてみたら、
試合の録画が90分丸ごと見れることがわかりました!
すごいサービスっぷり。
おかげさまで、日本のどっかのテレビ局では完全に無視されていたドイツの試合振りを、
EURO2008が始まって以来初めて見ることができたのですが……。
なんと試合中継の途中で2度も画像(+音声)が途切れてしまい、
一体どうしたんだと思っていたら、
「この放送はウィーンを経由してドイツに送っているのですが(試合はバーゼル)、
ウィーンでどうやら停電があった模様で……」
というアナウンスが!
これ、中継見ていた人にとっては怒髪天な事態ですよね。
しかもその間にゴールを決められたりなんかしたら、誰だって暴れますよね。
幸い、中断時間中にゴールはなかったのですが、
結局ウィーンからの送信は復旧せず、最終的にスイスから直接送信になったとか。
中継が再開されるまで、どれだけイライラさせられたことでしょう!
日本でご覧になっていた皆さんは、どうだったのかしら。
原因は、ウィーンで雷が落ちたせいみたいなんですが。

で、まあその試合内容なんですけれども。

なんじゃこりゃ( ̄□ ̄;)!!

「ドイツはどうやって準決勝に来たのか?」と思うくらい酷い立ち上がり。
それよりも「やる気あんの?」と、随所でツッコミながらの観戦になりました。
朝の速報で、3―2でドイツが勝つことはわかっていたわけですが、逆に、
「これでどうやって点を取ったんだ?」
と思ってしまうくらい、試合になっていません!
1対1も負けてるし、ディフェンスは混乱してるし、
そもそもこの連携ミスの多さは目もあてられません。
それは後半になって少し持ち直したものの、不安定感はいっこうに拭えず、
試合をコントロールしているのは相変わらずトルコ側で、
はっきり言って、ドイツのいいところはまるで見られませんでした。
トルコは主力選手の大半が欠けてしまっている中での大奮闘で、
いやむしろ、ドイツに勝って当然な戦いぶりを見せていたと思うのですが、
チャンスにつなげられる選手がいなかったのが痛かったですね。
あれで1人でも決定力を持つFWがいたら、ドイツは負けていたでしょう。
そのドイツで動きがよかった選手といえば、シュヴァインシュタイガーのみ、でしょうかね。
集中力、ボールを奪うことへの必死さ、そしてあのゴール。
トルコに1点先制された直後に同点に持ち込んだあのゴールは、
勝利を決めたラームの1点よりもはるかに重い意味を持つものだったと思います。
こんなに酷い試合内容でも勝ってしまうところが、ドイツの力の強さなんでしょうが、
トルコのテリム監督が引退する意向とのニュースを聞いて、ものすっごく残念に思いました。
せっかく奇跡を起こせるチームに育て上げたのに……。

さーて、12年ぶりに決勝戦に臨むドイツですが、どこと対戦することになるのかな。
スペインが来ても、ロシアが来ても、苦戦することは間違いないでしょうね。
決勝はライブ中継で観戦しますよー!
[ 2008/06/26 23:09 ] スポーツ | TB(0) | CM(6)

こんぱうんどする 

実はちょっと凹んでいました。
というのは、愛車が凹んだから。

その日、仕事が終わってガレージから車を出そうとしたら、
そのガレージの真ん前に誰かが呼んだタクシーが止まっていました。
どいてくれないと車が出せないので目で合図をしたところ(見りゃわかりますよね)、
ほんの少しバックしてくれたんですが、私の車は小さくないので出られそうにありません。
「もうちょっとバックして欲しいなあ」
そんな思いでタクシーの運転手さんに念を送ったのですが、
「これだけありゃ出られるだろ」
とでも言うように、目が合っても完全無視を決め込んでいます。
バックするのが面倒なんでしょうか。
私、ここで降りていって「もっとバックしてもらえますか」とか言える人間じゃないので、
仕方なくタクシーにぶつからないようそろそろと車を出したんです。
そして、「ふぅ~、何とか出られそうだ」と思ったとき。

ズズッ!

と、嫌な音がしました。
嫌な音がしましたが、擦っているという感覚がまるでなかったので、
「タイヤで何か踏んづけたかな」なんて考えながら、そのまま車を動かしていったら……。

ギーーーーーー。
……。
……。
……。


OH NO~~~~~~~~~~~~!

リアドアを、ガレージの枠で擦ってしまいましたー……。
タクシーに気をとられすぎて、ここのガレージは枠つきだということをすっかり忘れていました。
ショックで呆然とする私を横目にタクシーはさっさと行ってしまい、恥ずかしいやら恨めしいやら。
暮れゆく空の下でキズを確認してみると、凹みよりも擦りキズが痛々しい。
ショックを抱えたまま帰り道の修理工場で見積もってもらうと、
なんと修理費総計で8万くらいすると言われ。
晩御飯も食べられないほど落ち込んでしまいましたー。

結局どうしたのか。
インターネットであれこれいろいろ調べ回ったところ、
「キズは自分で直す。凹みは放置。これ基本」
とあったので、まずは自分で直せないか確認。
朝になってよくよく見てみると、キズというよりはガレージの塗料がついただけみたい。
凹みもそばに寄らなければわからない程度だし、「よっしゃ、自分でやるぞ!」と決意しました。
これ、えぐられたり下地が見えるほど塗料が剥げたりしていたら、
さすがに素人が自力で直すのは無理だと思いますが、これならいけそう。
希望が見えたので、昨夜のショックはいくらか和らぎ、仕事の合間に黄色い帽子でお買い物。
SOFT99の液体コンパウンドトライアルセットを購入しました。
コンパウンドは研磨剤なので、これで磨くと浅いキズなら均されて見えなくなるというものです。
涼しい週末を選んで、小1時間ほどせっせと磨いてみたところ。

ハラショーーーーー!(感涙

ピッカピカになりましたーー><
本当はもうちょっと磨きたいところもあったんだけど、磨きすぎると研磨されすぎちゃうし、
ちょっとした擦りキズは「今後気をつけましょうマーク」として残すことしました。
でもここまでキレイになるんだったら、あっちもこっちも磨いてみたい。(爆
お値段、8万円の見積もりが1700円で済みました!
これでようやく私も復活です♪
[ 2008/06/25 23:11 ] 日常 | TB(0) | CM(12)

天地人リレー講演会 第3回 

第2回に引き続き、参加してまいりました第3回。
今回のテーマは「直江兼続の蒲原支配」だったのですが、
副題が『上杉景勝の越後統一戦略と新潟・沼垂(ぬったり)湊』ということで、
上杉景勝が越後を統一していく中で、蒲原地方はどういう存在だったかという内容でした。
本タイトルには直江兼続公の名前がありますが、メインは景勝公です。(苦笑

天地人リレー講演会第3回

非常にローカルなネタでして、今回はどんなレポを書けば……と考えたのですが、
ここは新発田重家の乱に的を絞ろうと思います。
まず新潟県における当時の蒲原地域なんですが、
南は弥彦あたりから北は胎内くらいまでのあたりを指したようです。



結構広範囲だなあと思います。
御館の乱のときは、蒲原郡の南方は景勝と景虎を支持する者が混在していましたが、
三条城にあった神余(かなまり)親綱を中心に、どちらかといえば景虎色が優勢でした。
ここを押さえることは、景勝公にとっては乱に勝つための重要課題だったわけですが、
これをなんとか制すると、神余氏のあととして甘糟氏を城主に据えます。
甘糟氏は、景勝公の出身地上田の衆の一人で、重臣だったといいます。
このとき、蒲原地域の北方にあたる揚北(あがきた)は、景勝方についています。
この揚北の中心となるのが、新発田城主の新発田氏です。
新発田氏は謙信の有力な与党だったのですが、御館の乱が収束すると、反旗を翻します。
一説には、御館の乱に対する恩賞に不満があったからと言われております。
当時越後の中心となる湊はここ蒲原地域にあり、一つの河口に3つの湊がある状態でした。
それが新潟沼垂、そして国の湊として機能していた蒲原津
そしてこれらの湊を通る船から通行税を取っていたのですが、
この税を新発田重家が腹いせとばかりに横領!!!
ついに新発田重家の乱が起きてしまいます。
このとき焦点となったのが、先の3つの湊。
越後最大の海の玄関であるここを制圧することがこの乱を制することになると、攻防が始まります。
当初新潟の人々は、織田信長と組んだ新発田氏が優勢と見てそちらにつきますが、
信長が世を去り、上杉景勝が豊臣秀吉と結んだことを知ると、
上杉有利と新発田氏を裏切ってしまいます。
これが決定打となって、新発田氏は滅んでしまうのですが……。
こののち、揚北はもちろん、この蒲原地域には、景勝や直江兼続子飼いの家臣である、
上田衆、与板衆が城番として配置されていきます。
つまり上杉景勝による越後統一は、国を謙信色から景勝色に塗り替えることであり、
そのためには国の背骨たる信濃川流域を有する蒲原地域を支配することが、
統一への大きなポイントとなった――というのが結論でした。

ついでに、同じ新発田一族に加治氏というのがあるのですが、
新発田重家の乱でこの加治氏は中立を守り、ゆえに乱の収束後、失脚してしまいます。
その加治氏が「甲州流軍学」に対する「越後流軍学」を記しており、
越後ではこちら加治流が本家で宇佐美流は亜流というのが、講師の先生のお考えでした。
ただ、宇佐美氏にしろ加治氏にしろ、活躍したのは謙信の時代で、
どちらも景勝期には没落してしまっています。
こうした没落した領主たちによって、謙信の伝説が作られてもいったのだそうです。
ここは、おおいに納得したところでございました。

展示パネル

会場にはこんなパネルが飾られていたのですが、低くて狭い場所にあったため、
せっかく写真にとっても、表面に機材やら椅子やら自分やらが映りこんでしまい(苦笑)、
とてもお見せできるものではありませんでした。
次回、きれいに写すことができたらいいなあと思ってるんですけどね。
[ 2008/06/23 20:09 ] 天地人 | TB(0) | CM(4)

EUROですよ! 

ここのところ上杉ネタばっかり投下してましたが、
その裏ではサッカー・EURO2008に燃えております
中継が見れるテレビ環境にないので、もっぱらハイライトとネット情報に頼ってますが、
現地の盛り上がりを見るたびに、「あの中に入りたい~」と思ってしまいます。
やっぱりなんでもね、ライブが一番なんですよ。
生で見る。
これ以上に最高の体験はございません。
スタジアムに行けなくても、せめてヨーロッパにいたかった……。

そんな個人的な愚痴はさておき(苦笑)、本日より決勝Tに入ったわけですが、
その前にスウェーデンvsロシアなんですけど。
私、ラーションが復帰してることを知りませんでした!!!
一度代表引退した選手を連れ戻さなければならないほど人材が足りなかったのか、
ベテランの経験が必要だったのか(でもここ、選手年齢は高いですよね)、
お国の事情はわかりませんけれども、そういう選手が活躍しちゃうって、
長年のファンとしては嬉しいけど、チームの発展という点では複雑ですよね~。
雰囲気的にはスウェーデンがこのまま勝ち進むのかと思いましたが、
やっぱりロシアは甘くなかった。
ロシアはエース・アルシャヴィンが入ったというのもあるでしょうが、
ここはやっぱり監督ヒディンクが一番のキーポイントじゃないですかね。
ヒディンクって、非常に勝負強い監督のような気がします。
オーストラリア代表の監督してたときもそう感じましたし。
決勝Tでは、オランダ人のヒディンク監督がロシア代表を率いて、母国オランダに挑むわけですが、
おそらく決勝T進出チームの中で一番若い選手が多いロシア代表がどう戦うか、
非常に注目するところです。

イタリアvsスペインはいわずもがな。(笑

そして今日、ドイツがポルトガルを下して4強入りを果たしたので、
その相手がどこになるのかが、私の目下最大の関心事です。
明朝のクロアチアvsトルコの結果によっては、またドイツvsクロアチアになってしまう!
なんかね、ドイツ代表もファンもなんですが、クロアチアって結構トラウマになってる気がします。
あれは忘れもしない98年フランスW杯。
もともと不調を引きずっていたドイツはクロアチアに惨敗して、あっけなく敗退。
あのときはラフプレーが多くて、ものすっごい雰囲気の悪い試合でしたが、
あの負けは結構きつかったなあ……。
っていうトラウマが、私には残っております。

今回決勝で見たいのはスペインvsドイツかな。
そろそろスペインに決勝まで来てもらいたいところですね。
[ 2008/06/20 23:55 ] スポーツ | TB(0) | CM(6)

「ホカベン」 あまりな結末。 

「ホカベン」というドラマは、身近に起こり得る事件を取り上げることでそれを疑似体験させ、
なおかつ、ドラマ内で下された判決如何にかかわらず、
視聴者自身にも「自分なりの判決」を問うというものであったと思います。
これは、今後施行される「裁判員制度」において一般人である視聴者が、
個々の事件に対していかに判断を下していくか……という現実をつきつけるものでもあり、
視聴率の低さはどうであれ、私は良質で意欲的な作品だったと思いました。
そう、最終回を見るまでは。

昨夜夕ご飯を食べながら第9話を見、そのまま最終回を見たのですが、
9話でいきなり怒涛の展開、そして最終回でとんでもない消化不良に……。
見終わって、「ええええええっ?」となった人がほとんどだろうと思います。
最後に判決内容が明かされなかったことにつていは、想像通りだし許容範囲内です。
弁護士に対する懲罰的損害賠償請求という、現実に判例があるのかどうかも分からない、
非常にセンシティヴな問題にたとえドラマでも決着をつけることは、
マスコミに影響されやすい昨今の世情を考えれば、危険であるといえます。
それでも敢えてドラマとしての判決を下すという選択肢もあるでしょうが、
このドラマの制作スタッフはそれを選ばなかったということでしょう。
それはいいんです。
問題はこのドラマの帰着点なんです。
最終的にこのドラマが一番言いたかったことは、杉崎弁護士(北村一輝)の、
「(弁護士の)俺が負ければ、怠慢な警官を罪に問える。冤罪を起こす検事。
公判で居眠りしておきながら、平気でトンチンカンな判決を出す裁判官。
いじめを見過ごすボンクラ教師。奴らの責任を問うことができる」
というセリフに集約されるのではないかと思われます。
もちろん1話1話にテーマはあったんでしょうが、これほどインパクト大な問題を提起されちゃ、
どうしたってここばかりが頭に残ってしまいます。
それなのに、最終回のこの中途半端さは何。
杉崎弁護士の抱える問題は初回から引っ張ってきているわけですが、
その鍵を握るのが富田大介で、その富田と杉崎弁護士の対決があってこそ、
このドラマがようやく帰結するはずだったと思います。
この大倉孝二さん演じる富田は一癖も二癖もあって、
ひよっこ弁護士・堂本灯(上戸彩)の常識的なヒューマニズム如きで心を入れ替えるような、
そんな単純で素直な人間ではなかった。
ゆえに杉崎弁護士と真っ向から対決してこそ、このドラマの重さに意味が出たはずなんです。
この一点だけで、ものすごく安っぽいドラマになってしまった感が否めません。
謎めいた女性だったパラリーガルの倉木さんも、最後は宙ぶらりんで終わってしまったし、
堂本灯と不破弁護士を襲った男が一体なんだったのかもわからないし、
ラストに、エムザの面々がやたら明るく、敵対する堂本灯を応援してみたり、
「これってもしかして、1話削られたの?」と思われても仕方ないような、
「?」飛び交う最終回でした。
1本のトンネルを作るべく山の両端から掘ってきたら、
あらら、トンネルが2本になっちゃいましたみたいな感じ。
せっかくの試みがなんだか残念な終り方でしたが、
北村さんだけはやたら素敵だったので私的には良しとします。
その北村さんの中に、すでに景勝公の面影を探そうとしてる私はバカですか。(爆

というか……このドラマ、最終回を見て思うのは、
最初から杉崎弁護士が主役のほうがよかったんじゃないかしらん。(汗
[ 2008/06/19 23:38 ] ドラマ・その他 | TB(0) | CM(4)

「われ、謙信なりせば」 風野真知雄 著 

すでにだいぶ記憶が薄れているのですが、後になるともっと薄れるので今のうちに。
米沢への道中で読みきりました。

われ、謙信なりせば―上杉景勝と直江兼続 (ノン・ポシェット)われ、謙信なりせば―上杉景勝と直江兼続 (ノン・ポシェット)
(1998/06)
風野 真知雄

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これは本当に面白かった!
米沢への道中で読みきるほどに面白かったのです。
何しろ景勝公がカッコいい。
こんなにカッコよくていいんですか、っていうくらいカッコいい。
本当に、ちょっとカッコよすぎ。(苦笑
この作品を勧めてくださった皆さんが口をそろえてそう仰っていたので、
かなーり期待して読んだんですけど、その期待を本当に裏切りませんでした!

豊臣秀吉亡き後、天下の行く末は―――。
この作品も、上杉家の関ヶ原を描いています。
太閤の死をきっかけに、それまで耐えに耐えてきた徳川家康が、
「ようやくわしの番じゃ」とばかりに天下取りに動き出します。
誰を取り込んで誰と戦えばいいのか。
思案する家康公の頭に浮かんだのが、
あまりにも無口なためについ忘れてしまう存在の、上杉景勝。
「あの男はいい」
自分の側についてくれるなら、会津に越後を足してやろうが、
それどころか国を二つに割ったっていいと思うほどに、家康公は上杉家を欲します。
ここで描かれる家康公は愛嬌があって、憎めない。
天下を取るために何でもやっちゃうところは変わらないのですが、
かなり必死な感じなのがとても新鮮。(笑
ただそれが、景勝公をよりいっそう引き立たせてもいるのですけれどね。(笑
その家康公に望まれる景勝公は、澄んだ瞳の奥から、すべてをじっと見つめています。
物事を常に大局的に眺め、それを的確に判断し、下した決意は揺らがず、余計なことは言わない。
これはまさに、見事な理想の姿にございます!!!
しかしその清廉さは、実の父親を殺した叔父・謙信を憎むあまり、
逆に自分自身が謙信になりきることで納得しようという、非常に痛ましい決意の結果。
「謙信ならどうするか」を常に考え、謙信を追及していくことで、
景勝公は上杉謙信の「美徳」とされる部分ばかりを受け継いでしまい、
ある意味「義」という枷をはめられたまま、身動きが取れない状態にあります。
対して家臣の直江兼続は、同じく謙信公の元で育った身とはいえ第三者。
謙信という軍神を冷静に見極め、その裏に隠された「暗いもの」を嗅ぎ取っている。
水魚の交わりと言われたこの上杉主従の間にあった見えない溝が、関ヶ原で浮き上がります。
上杉が天下を取るべく、家康の追撃を勧める兼続公に対し、
「それほど天下が欲しければ、わしを越えてゆけ。その覚悟があるなら全軍を預ける」
そう、景勝公は言い切ります。
この場面の上杉主従のやり取りは、互いの想いがわかるだけにグッと来ます。
「義」という枷をはめられたままの景勝公が、
鉄面皮ぶりもはなはだしい家康公を受け入れるわけがなく、
またそうならなければ収めることのできない天下など望むわけもない。
「利」は常に悪ではないのだけれど、「義」のない世の中は悪であるかもしれません。
そのことを思い出すことが、今の時代には必要なのかな……なんて思いました。
晩年になって関ヶ原を振り返る上杉主従の姿を描く幕切れは、
穏やかな暖かさに満ちていて、爽やかな読後感を与えてくれました。
[ 2008/06/18 01:16 ] 上杉氏(小説) | TB(0) | CM(18)

天地人リレー講演会 第2回 

青い空と爽やかな風が心地よい日曜日――。
「天地人リレー講演会」に参加するため、与板にやって来ました!
会場の与板体育館にたどり着くと、早速宣伝カーが。

天地人バス


参加者は、ざっと見たところ300人くらい。
男女比は6:4くらいで、60歳以上の方が大半のようでした。
ここでもまたもや、ちょっと場違いな私。(苦笑

さて、講演に先立ち、予想通り「あゝ兼続」のCDが流れました!
歌詞をしっかり記憶しようと思ったのですが、開演前のざわついた中では不可能で、
「景勝」という言葉が歌詞に含まれていることと(これは聞き逃せまい)、
最後のフレーズが「直江山城 あゝ兼続~」であることの2つしか聞き取れませんでした。(爆
曲調は、たとえが思いつきませんが、三橋美智也さんの「あゝ新撰組」と同様のタイプです。

続いて南魚沼市の六踊会のみなさんが、「お六甚句」を披露くださいました。

お六甚句


お六甚句は六日町に伝わる民謡で、兼続と景勝の妹・桂姫の悲恋が軸になっていることは、
「それは一体どういうことですか!?」と過去の記事で書きましたけれども、
今回はちゃんと「想像上の恋物語」と事前に断りが入りました。
ストーリーとしては、桂姫が忍んで兼続に会いに来る……という感じなのかな?
この「お六甚句」は、7月の南魚沼での講演会でも見ることができるようです。

前置きが長くてスミマセン。(汗
これでようやく講演会の始まりです。

tenchijin-stamp.jpg


この講演会はスタンプラリーになっていて、15回シリーズのうち13回以上出席すると、
記念品がもらえるそうなのですが、さすがにそれは無理です。
記念品……きっと「愛」のなんかなんだろうなあ。(苦笑
それにしてもこのスタンプカード、表紙写真が景勝公の具足
兼続メインの講演会なのに景勝公の具足!!!
グッジョブ、新潟県立歴史博物館♪(って、ここの所蔵品だからでしょう・爆)

第2回のテーマは「上杉家文書と直江兼続」ということで、
米沢市上杉博物館の学芸員、阿部哲人氏からお話いただきました。
上杉家文書というのは、赤箪笥(乾と坤がある)とか両掛入文書とか、
文書が収納されていた箱で区別されているのですが、
まず初めに、その整理の仕方を簡単にご説明くださいました。
これらの文書は雑然としまわれていたわけではなく、それぞれの選考基準に従って、
何通かずつ袋に仕分けされ、それがさらに箪笥の引き出しに入っているとのこと。
上杉家に伝わる文書は江戸を通じて整理されてきましたが、
その間に、当然藩邸や蔵から新しく発見される文書もあれば、
整理に当たって家臣たちから献上された文書もあるようだということでした。
例えば豊臣秀吉から上杉景勝宛に発給された文書などは、
直接上杉家に残っていたわけではなく、一度家臣の者の手に渡ったのち、
上杉家に献上されて文書群の中に収納されたようだということなのです。
しかしなぜ家臣が所蔵していたのかはわかっておらず、研究の余地有りとのこと。
また直江兼続に関して言うと、いわゆる直江家文書と呼べる文書群が、
非常にプライベートなものも含めてなぜ上杉家に残っていたのかが謎で、
政治的内容の書状は公文書扱いで上杉家の蔵に入れられていたとも考えられますが、
その伝来はまだ解明されていないということでした。
上杉家文書は平成13年に国宝指定を受けましたが、研究はまだまだこれからだそうです。

因みに武家の文書群としては、薩摩の島津家文書が平成14年に国宝登録されていて、
こちらは平安時代からの1万点以上に上る文書を有しており、
鎌倉末期からの2000点ほどの上杉家文書に比べればはるかに価値が高いといえますが、
唯一、上杉家文書は表装されたり巻物にされたりすることなく、
書状がやり取りされた当時そのままの状態で保存されていたことが決め手となり、
島津家文書に先駆けて国宝指定になったんだそうです。

直江兼続の書状というのは、上杉鷹山のときに多数上杉家文書に収容されたそうです。
兼続は妻・お船の死後、上杉家からは顧みられることがなくなってしまい、
鷹山のときになって一時的にスポットが当たるようになるのですが、
そのことが文書の整理にも反映されているようですね。
やはり関ヶ原の一件は、後々までも強い影響を及ぼしたということなんでしょうね。
というのも、石田三成から上杉景勝宛の書状はあるものの、
石田三成から直江兼続宛の書状は、一通も上杉家文書には入っていないのだそうです。
これをどう読み解くか。
歴史家でなくとも、何らかの意図を感じてドキドキしますね。
上杉家文書だけでなく、直江兼続の研究もまた、これからだということでした。

時間があったので、長岡市役所与板支所に寄ってみました。
そうしたら、正面玄関にこれが!

白馬の兼続


う……馬が、メタボ。(汗
真っ黒い顔の兼続公も何気に怖いです。(苦笑
[ 2008/06/15 23:11 ] 天地人 | TB(0) | CM(8)

緊急速報「エリアメール」 

新潟県中越沖地震から1年たっていないのに、またこの大地震……。
今回は家屋の倒壊などよりも、山間部での土砂崩れや崖崩れ、
道路の寸断といった被害が多いようで、孤立状態の地域もあるようですし、
次第に明らかになってくる状況に胸が痛みます。

朝8時43分、聞きなれない携帯のバイブレーションの音にびっくりしました。
「心臓が止まるほど」とは、このことです。
通常のマナーモード設定からは想像もつかない、

ん゛~~~~っ、ん゛~~~~っ、ん゛~~~~~~~~っ!

という音とブルブルに、一体何事かと思ったら。

エリアメール


NTTドコモの緊急速報「エリアメール」が届いていたのでした!
これはドコモの705i、905i以降の機種で無料で利用できるサービスで、
あらかじめ設定さえしておけば、気象庁が発表した緊急地震速報などを、
対象エリア内にいる人は回線の混雑に関係なく受信することができる
、というものです。
携帯を変えたばかりの私は今回初めてこのメールを受け取ったのですが、
設定する部分が「受信するかしないか」だけだったので、
通常のメールと同じように来るものだとしか思ってなかったんです。
そこへ上記のような普通の3倍くらいの激しいブルブル音が出たものですから、
正直なところ、地震の揺れよりもそっちのブルブルにドッキリしてしまいました。(汗

【受信時には、ポップアップ表示や専用の警告音でお知らせします。】

説明書きのこの部分を、全く読んでおりませんでした。
考えてみれば確かに、普通のチャリラ~ン♪みたいなメール着信音じゃあ、
緊急速報の意味を為しませんよね……。
ドコモユーザーでこのサービスを設定されている方、お気をつけ下さいませ。

このとき私は仕事に出かけるためにのんびり支度をしていたんですが、
「火はついてないし、うちは背の高さより高いものはないし、大丈夫だな」
と、一瞬に考えたところで揺れが!
結構ゆさゆさと横に揺れたあと、まるで余韻のように、旋回するような揺れが続きました。
私の場合、このエリアメールが届いてから揺れを感じるまでに、
おおよそ15秒くらいあったような気がします。
15秒あれば、火を消したり、机の下に入ったり、場所によっては外に逃げることも可能です。
しかしうちに届いた連絡が揺れの15秒前とすると、
震源地の近くだった場合はほとんど間に合わないのではないでしょうか……。
それに人間ておかしなもので、こういうメールを受け取っても、
どうなるか予測がつかないせいか、ついつい「様子見」してしまいがちです。
システムの精度改善もこれからなのでしょうけれど、
それを利用する人間の対応意識も、少しずつ変えていく必要がありそうですね。
[ 2008/06/14 22:17 ] 日常 | TB(0) | CM(6)

をたしていばとん~ 

ここのブログは、投稿画面トップにトラックバックテーマが表示されるんですが、

FC2 トラックバックテーマ:「最近すごくうれしかったことは?」



というテーマに、
「そんなの北村一輝が景勝公をやることに決まってるじゃないですか!」
と、即答しつつ、トラックバックテーマには参加しない私です。(苦笑

それにしても、まるであつらえたかのようなバトンが回ってきましたよ。
といっても、半年以上も放置してあったんだけど。(苦笑

では、「北村一輝さん景勝公を引き受けてくれてありがとう記念企画」です。(笑

***************************


【ヲタ系@指定バトン】

※注意:指定者以外は絶対にやらないで下さい。
※ルール:回してくれた人からもらった『指定』を『 』の中に入れて答えること。


Akiさんから、「上杉景勝」で指定を受けておりました。
早速、ダラダラと熱く答えてみたいと思います。(苦笑


■最近おもう『上杉景勝』

とにかくないがしろ。(爆
もともとメジャーな武将ではないし、歴史的に目立った逸話があるわけでもないんですが、
叔父さんの謙信と家臣の直江兼続のついでに名前を連ねている感じで、
米沢の初代藩主なのに、その米沢でさえ、扱いが非常に気の毒です。
あの関ヶ原だって上杉討伐に関しては、「上杉討伐のため」で処理されてしまうことが多く、
具体的に名前が出てこないこともしょっちゅうですからねえ。
でも最近、それでいいんじゃないかなあと思い始めました。
景勝公は、会津120万石から米沢30万石への削封によって、
当主としては言ってみれば身代を潰してしまったようなもので、
当主、藩主として尊敬される立場には残念ながらなりえません。
もちろん、潰されて当然の上杉家を保ったという点は評価できるかもしれませんが、
発端はどうであれ、結果的に徳川に敵対したわけですから、
江戸期を通じて景勝公を話題にすることは憚られたようだ……というのも納得できます。
同時代の人ならばそのときの状況なんかも理解できるでしょうが、
後世になればなるほど、先代の苦労はわからなくなりますしね……。
でも、そうした状況というのは、景勝公にとっては想定内だったと思うんですよ。
その覚悟があればこそ、家康にも挑めたのだと思うし、
そこに戦国武将としての最大の「賭け」もあったろうと思います。
若かりし頃、織田軍に攻め込まれたとき、
「わしは良い時代に生まれた。越後一国で日本六十余州の兵を一手に受け、
それでたとえ滅亡しても、天下の誉れだ」
というような手紙を佐竹義重に送っているのですが、
このときと同じ様な、しかしそれよりもはるかに静かで揺るがない覚悟を、
私は関ヶ原事件から感じるのです。
もし景勝公が関ヶ原前夜に家康に与してしまっていたら、
謙信以来の「上杉の義」というものは、後世、ここまで伝えられなかったんじゃないでしょうか。
景勝公の評価が低いことは、結果を見れば仕方のないこと。
しかしそれよりも上杉の意地を見せ、面目を保つことのほうが、
御館の乱を制した景勝公にとってははるかに重要だったのだと思います。
そのための汚名は承知の上。
それが景勝公の生き方として、一番得心がいくような気がいたします。
変に崇められたり美化されたりすることは、景勝公の意に沿わないのでは……。


■こんな『上杉景勝』に感動

遺言、でしょうか。
今手元に遺言状の内容を確かめるものがないので心もとないのですが、
1) 高野山に埋葬すること
2) 謙信の法名「宗心」を戒名に入れること
3) 葬儀を質素にすること
確かこの3つだけだったと思います。
景勝公の人生のピークはおそらく関ヶ原前後でしょう。
その後は上杉家存続のために粛々と政務を執り行うばかりでしたが、
それは、関ヶ原の結果、上杉家に大損益が生じたことに対する後始末で、
その責任を負うべき自らの葬儀を「簡略に」と指示したこと、というよりも、
それしか遺言に書き入れなかったということが、
上杉景勝という一人の人間を、一本筋の通った男として納得させてくれました。
もちろん、葬儀にかかる莫大な費用を倹約するためというのもあるかもしれませんが、
それよりも、やはり「責任を取る」という気持ちのほうが大きかったように思います。
ついでに直江兼続による直江家の断絶についてですが、一理には、
「直江家を絶つことで、その禄高を返上し、困窮する米沢藩を少しでも救う意図があった」
とも言われていますが、
私は個人的に、それプラス、「切腹」の意味もあったんじゃないかなあと思うんですよね。
直江兼続は関ヶ原に関してはお咎めなしでしたが、
上杉家を辺境の大名に落としてしまったことに対しては、主君景勝同様責任を感じていたはずで、
「死んで詫びるよりも生きて償いをする」べく働いたあと、
自ら家を断絶することにより、いわゆる家ごと「切腹」をしたんじゃないかなあと考えています。
そのあたりも、異体同心の上杉主従に共感するポイントの一つです。


■直感的な『上杉景勝』

◎みかん (出典:武将日記―上杉景勝くんの日記)
    出典が日記……これは冗談ですが(苦笑)、
    景勝公には息子千徳くんに出した、「みかんありがとう」の手紙があります。
    無口無愛想な景勝公ですが、意外と子煩悩だったみたいです。
◎無口無表情
    これは景勝公の特許みたいなものですね。(苦笑
◎怖い
    大坂の陣のとき、単騎で見回りに来た景勝公が怖くて、
    兵士が防御柵の外(つまり敵側)に隠れたという逸話があります。
    どんだけ怖い人だったんでしょうか。(苦笑
◎ペットがサル
    景勝公がペットと遊ぶ姿が想像できない……。
◎刀好き
    景勝公の愛刀は、明治天皇行幸の折、上杉家より天皇家に献じられたそうです。
◎もしかしたら照れ屋さん
    景勝公が無口なのは、5%くらいは照れ屋な面があるからなんじゃないかと。


■好きな『上杉景勝』

上に書いてきたことはどれも、なぜ上杉景勝が好きなのか、ということに繋がっているんですが、
改めて言うなら、それはやっぱり「器の大きさ」の一言に尽きますね。
私が景勝公を気にし始めたのは、童門冬二氏の小説を読んだときだと思ってたんですが、
さっき自分が書いたレビューをささっと読み直してみたら、
藤沢周平氏の「密謀」を読んでからでした。
世間では景勝公よりも兼続公のほうが評価が高いようですが、
兼続公がそれだけの手腕を発揮することができたのは、
やはりなんといっても、主君が景勝公だったからだと思うんです。
景勝公が絶大な信頼を寄せ、独裁とも捉えられがちな権力を預けたからこそ、
兼続公は己の能力を余すところなく発揮することができたわけですよね。
そしてまた、兼続公が己の才に溺れて道を踏み外すようなことをせず、
臣下としての立場をきちんとわきまえ、主君に仕え続けたことから見ても、
景勝公が決して傀儡でも愚将でもなかったことが窺えると思います。
兼続のような才はなかったとしても、主君としての器はあった
だからこそ、会津→米沢の移封でも、家臣のほとんどが主家を去らなかったんでしょう。
人生二人三脚のように歩んできた上杉主従ですが、
2人をここまで結びつけたものはなんだったのかなあ。
幼いときからずっと一緒に育ってきたから……だけではないと思うのですよ。
なにかこう、絆をギュッと強くするようなものがあったと思うんですが、
そういう逸話はどこかに転がってないのか……???


こんな『上杉景勝』は、イヤだ

こういうことをしていたらイヤだという意味で答えますけれども。
それはもう、家臣の前で長々と演説する景勝公ですね。(爆
演説は兼続公に任せて、景勝公の発言は1回三文字以内でお願いします。
「うむ」とか「ならぬ」とか、「大儀」とか。(苦笑


■この世に『上杉景勝』がいなかったら

歴史的には、上杉家は滅んでたんじゃないですかねー。
景勝公の愚直なまでの律儀さと頑固さが上杉家を米沢30万石へ追いやったとも言えますが、
逆にその律儀さと頑固さが、関ヶ原を経てなお、上杉家を存続させたとも言えるのではないかと。
景勝公がいなかったら、誰が上杉家を継いでいたかにもよりますけど……。
私にとっては、まず第一に日本史に戻ってこなかったと思います。
高校生以降ずっと世界史一直線で、ここ最近江戸文化に興味は持っていたものの、
それでもやはり歴史としては世界史のほうが面白かったんです。
それが見事に日本史にどっぷりになっちまいました。(苦笑
おまけに地元の歴史にもにわかに興味が出てきましたし、人生面白いもんです。


■次に回す人6人(『指定』付きで)

6人ということですが、今回は、
「北村一輝さん景勝公を引き受けてくれてありがとう記念企画」
ですので、お二方にお願いしたく思います。

まずはカゲカツィストの先輩として、よりディープに語っていただきたく、
「己鏡」のびびんばさんに「上杉景勝」でプリーズ。
そしてもちろん、その景勝公を演じる北村一輝さんの魅力を存分に伝えていただきたく、
「神変紅丼」のレッドさんに「北村一輝」でプリーズ。

お時間のあるときに、どうぞよろしくお願いいたします!
[ 2008/06/12 23:51 ] バトン関係 | TB(1) | CM(18)

結婚式・披露宴で正直やめて欲しい演出ランキング 

友人と飲んだとき、「どんな結婚式をしたいか?」という話になりました。
私の場合、昔から「したい結婚式」より、「こういう結婚式はしたくない!」というリストのほうが多く、
しかも今さら結婚式もどうかと思う年齢になったので、もしもそんな縁があったとしても、
いわゆる披露宴みたいなもんはやらないと思いますが、
ちょうどその話をした直後に見つけたのがコレ。

結婚式・披露宴で正直やめて欲しい演出ランキング

gooランキングは面白いので時々見ているんですが、このランキングを見て、
10位以内のものを私はあまり体験したことがないことに気がつきました!





来賓・主賓の祝辞がない披露宴はさすがにないと思いますが、
新郎新婦の派手な入場とかは昔々ウワサで聞いたゴンドラしか知らないし、
新郎新婦がカラオケをするなんてのも見たことがありません。
新郎の胴上げもテレビの中でしか見たことがないし、シェフの料理説明なんか聞いたことない!
そういえばプロフィールビデオっていうのも見たことがないなあ。
それにこの、巨大クラッカーってなんですか?
くす玉みたいなものなんでしょうか???
でも、こうしてランキングに入ってくるということは、
これらの演出はみなさんがよく遭遇されている……ということなんですよね?
そして「ひー、勘弁!」って思ったっていうことですよね?
やー、これは本当に私も勘弁して欲しいわ。(苦笑
10位以降を見てみても、「各テーブルでの記念撮影」とかいらないし、
(だって、知らない人と同席した写真なんかいらないし!)
花嫁から両親への手紙っていうのも、いかにも「ヤラセ」でイヤだし、
あ、そうそう、いつも心配になるのはブーケトスですね。
私が出席したお式でこれをやった方は、ブーケを受け取る人を決めてましたけど、
これ、「もしも誰も受け取らなかったら……?」っていう不安を、どうしても抱いてしまいます。(苦笑

私がこれら10位以内の恥ずかしい演出を体験せずに済んだのは、
友人たちの良識(?)のおかげなんでしょうかね。
そんな中、自分的に一番困ったのが、披露宴のあとの花火でした。
披露宴のあとで浜に移動して花火……という演出だったのですが、
いろいろと大変な新郎新婦が浜に来るのにものすごい時間がかかったので、
先に浜に着いたお客さんたちはかなりの間、待ちぼうけを食ったらしいです。
食ったらしい、というのは、私は面倒くさくて行かなかったからです!(苦笑
だってわざわざ車で浜まで移動だなんて、夜も遅いのに嫌ですもん。
自分たちがやりたいという気持ちはわかりますが、お客様をお呼びする以上、
いかに楽しんでいただけるか、という点を考慮して欲しいもんです。
私は、結婚式の主役は新郎新婦ではないというスタンスですので、
なおさらそう思ってしまうのかもしれませんが。
そういう意味では、余興も何もない、お食事会しかなかった友人の結婚式が一番好印象でした。
[ 2008/06/10 20:59 ] 日常 | TB(0) | CM(10)

これは何だろう? 

通りすがりに、こんなものを撮ってみました。

ブラジル大使館

ブラジル大使館です。
入り口に警備員さんがいないのが、何となくブラジルっぽい?(苦笑
それにしてもこの巨大な黄色い円柱は、一体何なのでしょうか。
もしものときの核シェルター?
それともこの中に警備員が隠れていて、いざ事起これりというときになると、
ハッチを開けてわらわらと重装備の人たちが出てくるのでしょうか?
単純に倉庫か、それともマグロとか飼ってたりして???

いろいろ妄想をめぐらせてしまいました。(苦笑
[ 2008/06/09 18:49 ] 日常 | TB(0) | CM(4)

ゆびづかい 

お稽古事っていうのは、本当に一生ものだなあと思います。
どれだけやっても学ぶべきことはなくならないわけでして、
どれだけやっても満足できるということがない。
当然ながら、そのときそのときでベストを尽くしているのだけれど、
あとになって振り返ってみれば、それはもう本当に反省づくしで恥ずかしくなるばかり。
それは結果的に成長してるってことになるんだと思うんですが、
それにしても自分の未熟っぷりに気づいたときの猛烈な恥ずかしさは、
全部消して、何事もなかったことにしてしまいたいくらいです。

お稽古事は、何でもまず10年は続けないとわからないと言います。
私がパイプオルガンというものを始めて、まだその半分にも満たないんですが、
ここ1年くらい「このままでいいのか?」という疑問がチラホラと顔を覗かせていました。
曲のレパートリーは増えるんだけど、別段巧くならないんですよね。
もちろん先生についてはいるんだけれど、変化が感じられない。
自分が下手なだけっていうのはこの際置いておいたとしても、
機械的に曲をこなしていくだけのような気がして、少し迷っていました。

やっぱり人生出会いだなあと思ったわけなんですが、
ひょんなことからある先生と知り合いまして、私、即行で先生を変えました。
即行といっても、この世界、師匠を変わるということは非常に難しい。
いろんなしがらみがあるので、ものすごく勇気のいることなんです。
かつて、これで何度も辛い思いをしているので、実は怖くて思い切れなかった。
でも、友人に相談に乗ってもらい、親にも相談に乗ってもらい、決心して先生変えて2ヶ月。
たった2ヶ月だけど、明らかな変化に感動すらしています。
師匠を変えればやり方も変わるわけで、1から学び直す状態になってはいますが、
それでも過去に感じていたどことない虚しさが、ウソのように今が面白い。
私、子供のころからずーっとピアノはやってきましたけど、今ほど練習が楽しいことはなかった。

指使いを書く


曲の初めから終りまで全部に指使いを書かされるってのは生まれて初めてで、
実はこれにかなり手こずっています。(汗
それでも練習が楽しく思えるのは、これまでに積み重ねてきたものがあるからだと実感。
過去を振り返って恥ずかい思いはするけれど、でもそれがあるからこそ、
今だから理解できる、今だからやれるのだと納得しています。
そう、すべてはタイミングなのですよね。

多分早すぎる、とか、遅すぎる、ということはないんじゃないのかな。
思い通りにならないときは、まだそのタイミングではないのだと思います。
あるいは全く縁がないか……ね。
とにかく今、私も1年生に戻った気持ちで、もうひと頑張りしようと思っているところです。
[ 2008/06/08 01:23 ] オルガン | TB(0) | CM(8)

これでごみは減るのかなあ 

未回収のごみがあふれかえったナポリの街、
そしてそれに連なる暴動は記憶に新しいニュースですが、
今月から、新潟市ではゴミが有料化されました。
ごみを捨てるには、指定された袋を購入しなければなりません。
袋のサイズは10、20、30、45リットルの4種類で、値段は1リットル1円の計算。
有料になるのは燃やすごみと燃やさないごみ、粗大ごみの3種類ですが、
先月には「お試しセット」が送られてきて、指定の袋に分別百科事典までついてきました。

ごみ袋   分別事典

分別区分は10種13分別と難しそうですが、やってみるとそうでもない。
それよりも、以前よりも燃やせるものが増えているのが、逆に疑問です。
例えばアルミフォイル。
これ、前は燃やさないごみとして分別していたのですが、今回からは燃やすごみ。
ビデオやカセットなどのテープ類や、CD・DVDのディスクはプラスチックごみだったのが、
今回からはやっぱり燃やすごみ。
しかもケース含む。
ということは、これまでいわゆる燃えないごみとして処理されてきたものが、
実は燃やせたんですよってことですよね。
以前のごみ分別区分は、近年改定された分別方法でしたし、
有料にすることでごみ処理場の精度がアップしたとかも聞いていないですし、
だったらこれまで埋め立てられてきたものって、どうなるんだろう……。
そんな素朴な疑問を、一市民は抱いているのですが。
とにかく快適に暮らしていくためには、今の時代、人間も努力しなくちゃいけないわけで、
有料化そのものには別段異論はないんですが、だけどこれでごみが減るのかなあ?

確かにリサイクルできるものとできないものを分別することによって、
捨てるしかないものというのは減るのかもしれないですが、
ごみの量そのものっていうのは、根本的には減らないんじゃないでしょうかね?
有料化になるから捨てないというわけにはいかないわけですし、
どちらかといえば、生産者、製造者、企業の方でごみ減らしの工夫をしてもらわないと、
末端の消費者だけに負担が大きくのしかかってくるような気もします。

買い物かご


せめてスーパーで袋をもらうのはやめようと、
ずっと押入れに投げてあった買い物かごを引っ張り出してきました。
レジでこのかごを出せば、レジのお姉さんが直接入れてくれるので、
自分で入れ直す必要がなく便利です♪
小さな努力も、いつかは大きな結果になって返ってきますでしょうか。
[ 2008/06/06 21:24 ] 日常 | TB(0) | CM(4)

線路は続くよどこまでも 

実はこの記事は3日に上げる予定だったんですが、
大河の配役発表が来るとの情報があったので、UPするのを控えておりました。
ということで、米沢紀行最終回です。


上杉博物館で上杉家の歴史を辿ったあと、ミュージアムショップを覗いてみました。
そんな中で一番興味を引いたのが、宮島誠一郎氏の「戊辰日記」でした。
宮島誠一郎氏は幕末米沢藩の外交担当として京で活動しており、
鳥羽伏見の戦いが始まって以降、在京中のことを日記に記していました。
それを「戊辰日記」としてまとめ、米沢市史編集資料28号として翻刻、出版されています。
奥羽越列藩同盟側からの一記録として、読むべきものがありそうだと思ったのですが、
その、懐具合が……。(苦笑
今回は上杉景勝、直江兼続の図録2冊と、上杉家文書の図説を買う予定で、
さらにこの「戊辰日記」2,500円也を購入する余裕はありませんでした……。
おまけに図録3冊だけですでに荷物が重いです。(汗

zuroku.jpg

因みにこれら3冊の図録、まだざっとしか目を通しておりません。
そういえば景勝公の遺言は掲載されていなかったなあ。
あれ、どこで見たんだろう……?

上杉博物館を出ると、次は上杉伯爵邸へ。

上杉伯爵邸

明治29年建築当時は、敷地約5,000坪、建坪530坪という大邸宅だったそうですが、
大正8年に焼失し、現在のものは大正14年に再建されたもの。
それでも壁の長さが、屋敷の広さを物語っていました。

伯爵邸・玄関

上杉伯爵邸は、現在お食事処になっていて、米沢の郷土料理を頂くことができます。
しかし時刻はすでに4時半を回っており、お食事という時間ではありません。
…………と、なんと茶房があるではないですか!
ということで、中でお抹茶と上生菓子を頂くことにしました!

受付で注文し、いざ大広間に入ろうとしたとき目に飛び込んできたのが、

米沢の四傑

という文字。

上杉謙信公、上杉鷹山公、直江兼続公、伊達政宗公

そこにはこの4名が掲げられており、まあ予想通り景勝公は含まれていなかったのですが、
わかっていても悲しくなってしまうのがカゲカツィストなのでして……。
っていうかね、米沢に来てからずーーっと感じてたんですけど、
謙信公と兼続公をクローズアップしすぎです!!!
いくら来年の大河が兼続主役とはいえ、いくら兼続が街作りに貢献したとはいえ、
ここは上杉の城下町であって、直江兼続の町ではないと思うのですが。(苦笑
それとも、兼続が米沢城主だったころのことから引っ張ってきてるのかしら。
でもまあこれも、来年末までのこと……だとは思っていますけれども、
それにしてもちょっとね、あまりにもその扱いがすごすぎて……。

お抹茶

何か写真が黄昏色になってますけど、これは電灯のせいだと思います。(苦笑
お庭を眺めて伯爵邸の大広間でのんびりしていたら、
斜め向かいの席から、しきりと「直江兼続は」という言葉が聞こえてきました。
それは観光で山形県内のどこかからいらしたご家族のようだったのですが。

父「直江兼続はさ、上杉謙信と、それから上杉鷹山に仕えたわけだよ」
母「でも鷹山ってずっと後の時代の人じゃないの?」
父「違うよ、謙信で上杉家が没落してさ、それを鷹山が立て直しただろ?」
母「うん」
父「それを補佐してたのが兼続なんだよ、ホラ、うこぎもそうだしさ」

ちょっとちょっと、それ、違いますから!!!
これってやっぱり、謙信公が米沢藩の藩祖とされていることによる誤解じゃないですか?
確かに鷹山公は、景勝公以来の財政逼迫に喘いでいた米沢藩の中興の祖として、
今も広く世界にその名前を残しておられる方ではありますが、
謙信公と鷹山公では200年以上の年月の差があるわけで、そのどちらにも仕えるなんてことは、
いくらスーパーマン評価されている直江兼続公でもムリ。(苦笑
それにまず、謙信公が米沢に来たのは亡くなってからです!
そう、お母さん、アナタが正しい!!!
私は今にも立ち上がってお父上とお話したいところではありましたが、
そんなことができるわけもないので、じっと我慢しておりました。(苦笑
でも最後にお祖母様が、
「今度は新潟のほうに行ってみたいねえ」
と仰ってくださったのが嬉しかった!
きっとお祖母様は、上杉家がお好きでいらっしゃるのでしょうね。
縁の品はあまりありませんが、城跡ならいっぱいあります!
当時と変わらぬ自然もあります!
うぇるかむ とぅー にいがた~~~♪


上杉伯爵邸・釘隠し

上杉伯爵邸大広間の釘隠し。
ちゃんと上杉家の家紋になっていました!
今思えば、伯爵邸の中って見学させていただけたのでしょうか?
日本家屋の素晴らしさは、広間だけでなく廊下と庭にもあると思うので、
可能なら歩かせていただけばよかったー。

初めて米沢にやってきて感じたのは、想像以上に小さな街だということです。
四方を山に囲まれ、商業の拠点となるような港もなく、これといった産業もないところへ、
6,000人とも言われる家臣団を連れて入部してきた上杉家の人々の苦労は、
簡単に想像できる程度のものではなかったろうと思います。
刀や槍を鍬や鋤に持ち替えて、生きていくための戦いが始まる……。
それは、戦国を生きる戦いにも勝るとも劣らない、非常に厳しいものだったでしょう。
そんな上杉家の支配を、米沢の民たちはどう見ていたのでしょうか。
市井の人々の視線にも興味が出てきました。

米沢駅

18時25分発のべにばな1号で、新潟に帰ります。
私の上杉を回る線路はまだまだどこまでも続きます。
次は上越、春日山へ行かなくては!!!

ということで、たった6時間弱の米沢滞在記を6回に渡ってお読みくださり、
本当にありがとうございました。
これより通常記事に戻りますが、洛中洛外図雲井龍雄「討薩檄」については、
後日別記事にて熱く語る予定です♪

ありがとうございます! 

来年の大河ドラマ「天地人」の主な配役が発表となりました。(NHK新潟放送局・天地人サイト)
私、朝9時にこの情報をつかみまして、以来鼻血が止まりません。(爆

だって、

上杉景勝に北村一輝


ですよ???
すいません、いいんですか? 北村さんで?
嬉しすぎてもうどうしたらいいかわかりません、自分。

私個人としては、景勝公はイケメンである必要はない、美男である必要もない、
ただ欲しいのは品の良さと意志の強さ、と思ってきました。
それが美しい上に黒い瞳の深いまなざしを持った北村さんが、景勝公を演じてくださる!!!
北村さんなら、最上義光で長谷堂城の攻防を見てみたかった気もしますが、
この配役、ファンの皆さんはどう思ってらっしゃるんでしょうね?
景勝ファンとしては、景勝公を引き受けてくださってありがとうございます、という気持ちです。(笑
これで原作がアレでも、脚本がトンデモでも、
ワタクシ、1年間リアルタイムに拝見させていただきます!!!
北村さんはその表情がコワイ……と言う方もいらっしゃいますが、
景勝公にはそれが魅力となって出てくるはず。
生涯一度しか笑わなかったという逸話の残る景勝公ですが、
北村さんも笑顔を封印してのお芝居になるんでしょうね。
うおー、今自分、頭の中が北村一輝@景勝の妄想でいっぱいです。(苦笑
北村さんに注目していて良かったよ、レッドさん、ありがとうございます!!!

さて、そのほかの配役ですけれども。

兼続夫妻
直江兼続 ・・・・・・・・・妻夫木 聡
お船(おせん)・・・・・ 常盤 貴子

兼続の主君夫妻
上杉景勝・・・・・・・・・北村 一輝
菊姫(きくひめ)・・・・ 比嘉 愛未  

景勝の義兄夫妻
上杉景虎・・・・・・・・・・・玉山 鉄二
華姫(はなひめ)・・・・・・相武 紗季

初音(はつね)・・・・・長澤 まさみ
樋口惣右衛門・・・・・高嶋 政伸
お藤(おふじ)・・・・・・田中 美佐子
樋口与七・・・・・・・・・小泉 孝太郎 
泉沢久秀・・・・・・・・・東 幹久  
仙桃(せんとう)院・・ 高島 礼子
上杉謙信・・・・・・・・・阿部 寛

***********************************

以下、ごく個人的な感想です。
お船に常盤貴子さんはイイと思います。
姉さん女房で賢夫人……のイメージに合いそうです。
武田のお姫様で景勝の正室、菊姫の比嘉愛未さんは、
「どんど晴れ」を見ていなかったのでお芝居がよくわかりませんが、
雰囲気的に、最後は原作通りの悲劇に終わるような気がしてちょっと鬱……。
だけど何気に羨ましい役柄。(爆
初音は原作と設定が変わったのか、真田幸村の妹で織田信長の密偵という、
なんだか複雑な役になっていましたが、オリジナルキャラなので様子見ですね。
正直あんまり兼続と絡んで欲しくないですが、思えば長澤まさみさん
「功名が辻」でも似たような役だったなあ。
三郎景虎は、景勝と謙信の跡を争う兄養子ですが、玉山鉄二さんだと、
三国一の美男というよりも、妙高市の勝福寺にある三郎くんの銅像のイメージです。
しかも跡目争いで景勝@北村一輝と対峙することになるわけですが、
これだと景勝のほうが何枚も上手(うわて)に見えてしまう。(苦笑
阿部寛さんは「坂の上の雲」に出演されるので、こちらに出ることはないと思っていましたが、
まさかまさかの上杉謙信……なんかイメージ湧くような湧かないような。
っていうか、デカイ謙信だなあ。(苦笑

とにかく、景勝公が北村一輝さんということで、関ヶ原がますます楽しみになりましたよ!
五大老になってからや、家康との渡り合いも、きっと見ものでしょうね。
来年はきっとスタパに行くと思います、私。(笑

◎オマケ◎
配役発表を受けての新潟県知事のコメントにあったのですが、
「このままトレンディドラマができそうな配役で……」
まさにその通りですね。(苦笑
これだと家康や秀吉は北村さんと似たような年代を持ってくるのか、それとも大御所が来るのか。
多くの年齢層に楽しんでもらえるドラマにして欲しいみたいなことも仰っていましたが、さてさて。
脚本がどう仕上がってくるか……が気がかりです。
[ 2008/06/03 19:39 ] 天地人 | TB(3) | CM(23)

特別展・上杉伯爵家の明治 

稽照殿で戦国時代の上杉家を堪能したあと、足早に上杉博物館へ向かいました。

あ!!!

そういえば上杉神社の境内には、謙信公の祠堂跡があるんだった!
越後で亡くなった謙信公は、甲冑を着せられて、漆を満たした甕に収められたと伝わっております。
そしてそれは上杉家の会津→米沢への移封に伴い、
米沢城の南東の方角に安置されたとのこと。

米沢城址


写真左手奥の辺りはちょっとした丘になっていて、そこに祠堂跡があります。
東南という方角も大切だったのでしょうが、ここからは米沢の町が一望でき、
謙信公は上杉家のみならず、米沢の守り神のように祀られていたのだろうと思いました。
ここはまさしく聖域と呼ぶべき場所だったのではないでしょうか。

上杉博物館では、「特別展・上杉伯爵家の明治」を開催中。
無理してこの時期に米沢まで来たのは、この特別展を見るためでした。
前期は上杉本・洛中洛外図屏風の原本が展示されていたのですが、それには間に合わず。(涙

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常設展のほうでは簡単に上杉家の歴史が見れるようになっていて、
以前びびんばさんから教えて頂いた文書折りの体験や、鉄砲撃ち体験などがあり、
洛中洛外図を紹介した解説映像なんかもあるんですが、ここでもまた例の研修生軍団と一緒に!
私が一人黙々と文書折りをしていたところ(これが思うように折れないんです)、
それを見つけた研修生が一人、また一人と寄ってきて、いつしか作業台が満員に。
同じところを回っているので仕方ないんですけど、どこへ行っても落ち着いて見れない……。(悲
特別展が開催されているときは文華館(上杉家文書等が展示される)はお休みということで、
ここでは特に景勝公関連のものを見ることはできないとわかったため(苦笑)、
早々に特別展のほうへ場所を移しました!

特別展「上杉伯爵家の明治」は、プロローグ、エピローグを含めて7章から成っていました。

プロローグ「米沢藩上杉家」
謙信公、景勝公、鷹山公、そして直江兼続公の肖像画が展示されており、米沢藩の基礎を確認。
軸に表装されているのですが、意外と小さい肖像画でした。

第一章「米沢藩の崩壊」
幕末、戊辰戦争に関わるものが展示されています。
会津の松平容保公を討つために、米沢藩も仙台藩に協力しろという命令が書かれた、
会津容保追討沙汰書や、奥羽列藩同盟盟約書
そして古今の檄文の中でも白眉と言われている雲井龍雄の「討薩檄草稿」などがあり、
緊迫した時代を伝えてきます。

第二章「明治の幕開け」
米沢藩も新政府軍に降伏し、文明開化の明治がやってきます。
雲井龍雄(小島龍三郎)を集議院議員に任じた集議院達書や、
第13代藩主上杉茂憲(もちのり)公に伯爵位を授けた爵記や、
当時としては慣れないことだったろうと思われる洋装の大礼服などが見られ、
江戸とは明らかに違う、新しい時代の息吹を感じさせました。
爵位って色分けされてたんですね。
上から公・侯・・伯・子・男の五爵にランク付けされ、
それぞれ浅黄の色で表されていたんだとか。
上杉家は伯爵ですので、爵記も枠縁が桃色でした。

第三章「明治天皇の行幸」
明治天皇が地方巡幸で米沢を訪れた際、天覧に供した宝物の数々が置かれていました。
ここに、上杉本洛中洛外図屏風(複製)も展示されておりました。
謙信公所用と伝わる琵琶「朝嵐」や、
明治天皇に献じた太刀のお礼に拝領した唐草毛彫菊紋銀杯
またそのときの部屋の様子を写真に写した明治天皇行幸米沢行在所など、
いよいよ天皇を中心とした「日本」という一つの国に変わっていくことを窺わせます。

第四章「沖縄県令上杉茂憲」
第五章「上杉家の地域貢献」

ここからは写真も多くなり、当時の上杉家の人々を目にすることが出来るようになります。
廃藩置県に伴い、旧藩主は東京への移住を命じられ、
そこから新たに旧藩とは縁のない地方へ「県令」として派遣されることになりますが、
上杉家最後の藩主であった上杉茂憲公は、沖縄県令に任じられました。
そこでしたためられた上杉県令沖縄本島巡回日誌や、子供たちと一緒に撮影した古写真
米沢に戻ってからは蚕業学校の創立にその費用を寄付し、そのとき受けた褒状もあり、
戦国、江戸期とは全く違う行政のあり方を垣間見ることできました。

エピローグ「上杉伯爵家のその後」
現当主上杉邦憲氏の赤ちゃん時代をとらえた上杉憲章/隆憲家族写真が印象的でした。

こうして一つの家に視点を据えて時代の流れを見ていくと、物事は局地的にはなりますが、
それがかえって歴史の流れを把握しやすくするものなんですね。
上杉家は江戸期を通じて財政難で、宝物も文書も整理する余裕すらなかったと、
2月に訪れた新潟県立歴史博物館の学芸員の方が仰っていましたが、
本当に上杉家は物持ちがいいというか、よくぞここまでちゃんとした状態で、
これらの貴重な史料を保存していたものだと感心します。
特に謙信公、景勝公辺りのものをきちんと保管していたということを思い、
主だった藩主の方々をざっとですが目を通してみると、
上杉家というのはその血筋を守る、保つということよりも、
謙信以来の上杉家の家風とか、家訓みたいなものを守るほうが大切だったのではないか、
それを守り伝え、実行することこそが、当主の務めだったんじゃないかと感じました。
私は謙信公が時々米沢藩の藩祖とか初代(これ明らかに違うし)とかって書かれることに、
実は非常に違和感があったんですが、このことに思い至った今、
米沢藩が上杉家に代表される以上、
謙信公はやはり藩祖で初代でとせざるをえないのかもしれないと考えが変わりました。

ふー、たった5時間くらいの出来事なのに、5日書いても終わらねえ。(汗
でも、明日で一応紀行は終わります!!!
(つまり、紀行以外はまだあるということ・苦笑)

百聞は一見にしかず! 

いつまで米沢ネタを引っ張るんだ!という感じですが、まだしばらく続きます。(汗

松岬神社、上杉神社と参拝した私は、いよいよ稽照殿に足を踏み入れました!
受付は……多分巫女さんでしたでしょうか?

稽照殿チケット

ここでは当然写真撮影はできないので、私の拙い解説でお届けします。(苦笑
稽照殿には、上杉謙信、景勝、直江兼続、そして上杉鷹山の遺品等が展示されています。
入ってすぐに目の前に現れたのが、謙信のものと伝わる革製金箔置烏帽子形兜
見事な金色の変わり兜ですが、 左折れが大将格、右折れが平士を表しているんだとか。
頭周りが結構小さいかな……としばし観察していたら、またもや例の旅行社の研修生が!!!
圧倒的に女性が多いので、館内が厳かなムードから一気にウフフムード(何ソレ?)に……。

初めて目にする本物の「毘」と「龍」の旗は、想像していたよりも遥かにに大きいものでした。
広い戦場で、遠くから見えなくちゃいけないんですから当然なんですが、
やっぱり図録からじゃあ実物の大きさは把握しきれないわけで、こうして実際に目にしてみて、
この旗の存在の大きさというものが初めて理解できたような気がしました。
「毘」や「龍」に限らず、自軍の旗というものは味方の目印であると同時に、
心もとない兵士たちにとって支えの一つでもあったのではないでしょうか。
旗はもちろん色褪せていますが、
これがボールドで洗ったみたいに真っ白だったらガッカリだなあ(苦笑)と、
最近多い複製品の展示のことが、ちらっと頭をよぎったのですが、
……って、あれ? 昔はこういう軍旗って洗濯してたんでしょうか?
城に戻ってくると、女たちが洗ったりしてたのかな?
そんな風に、「毘」と「龍」の旗の下で戦う兵士のような気分を味わっていたとき。

「ね、見て。だってー!」
「やっだー、マジー?」

即行で会話の方向へ首を向けてしまいました!(苦笑
先ほど入ってきた研修生のうちの2人が、兼続公の「愛」の兜の前でヒソヒソ話しています。
もしかして彼らは旅行社の社員ではなかったのでしょうか?
だって、今この時期に米沢に研修に来る旅行社の社員が、
直江兼続の「愛の前立て」兜を知らないのはちょっとマズくないかい?
断片的な会話から旅行社だと判断した私の、思い込みだったようです。
きっと、全然旅行とは関係のない会社だったに違いない。そうに違いない。
で、私も早くその鎧兜を、というか景勝公のお盆の鎧兜(爆)が見たくてたまらなかったんですが、
その研修生2人が次々に仲間を呼ぶので、鎧兜の前にちょっとした人だかりが。(汗
人数は多くないんですが、それほど展示スペースが広いわけではないので、
陣取られてしまうと見にくいんです。
ここまで来たからには心静かに眺めたいので、
「あっち行け~~~~、あっち行け~~~」
と、必死に念を送って隣室へ追いやり(苦笑)、ようやく鎧兜の前に立つことができました!
景勝公の紫糸縅伊予札五枚胴具足(前立ては日輪)と、兼続公の「愛の前立て」付き鎧を、
じっくりと観察させていただいたのですが……。
いくら修繕が施されているであろうとはいえ、状態がとてもいいんです。
紋も鮮明で、綴っている糸もしっかりしているし、今着用することも可能に見えます。
そしてサイズなんですが、大柄だったといわれる兼続公の鎧、
私の目には景勝公のものと比べて、そう大きく違わないように見受けられました。
景勝公のほうが胴回りがちょっと小さいかなとは思いましたが、
殊更小さいようには感じなかったのです。

ですが。

奇抜な前立てとして何かと話題の「愛」なんですが、正直に言って、
「愛」よりも、隣りの景勝公のお盆のやつ(爆)のほうがずっと目立つと思いました!!!
お盆は正確には、大日輪に摩利支天・金剛・毘沙門天の三軍神を彫ったものなんですが、
この大日輪がお盆状態で金ぴかなので、遠目にも目立つんです。
日中これに日光が当たったら、反射でものすごく光って眩しいんじゃ?
眩しくって敵も斬り込めない……あ、すいません、バカなこと考えました。(苦笑
いえ、それくらいインパクト大だったんですよ、私としては。

それからもう一つ。
謙信公の水色が目にも鮮やかな馬上杯も見ることができましたが、
こちらは思っていたよりもずっと小ぶりでした。
私的には、カフェオレボウルくらいの大きさがあるようなイメージがあったんですが、
片手でちょっと持つのに適した、普通のサイズの杯でした。
私、どんだけ謙信公を大酒アップロードファイル呑みだと思ってたんだろう。(爆

他にも多くの貴重な遺品が展示されていて、謙信公が将軍から許された毛氈鞍覆だとか、
謙信公が景勝公に送ったとされるイロハ手本だとか、衣装だとか、
これまで写真でしか見ることのなかった品々を実際に目の前にしてみて、
歴史上の人物でしかなかった上杉家の人々が近く感じられたのと同時に、
やはり自分とはかけ離れた、遠い時代の遠い世界に生きた人たちだったのだとも思いました。
なんかね、親しげに「景勝さま」なんて呼んではいけないような気になったんですよね。
だから最近ブログの上では、ちゃんと「景勝公」と書くようにしたんですけれど。

百聞は一見にしかず。
それを痛感した稽照殿を出て、いよいよ上杉博物館です!

カメさん

参道脇の池で、大好きなカメさんにバッタリ!