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そういえば 

先日昇太師匠の落語を聞きに高田へ行った記事を書いたときに、
「そういえば去年、松本城へ行ったんだっけ」
と、突然思い出しました。
思えば、長野へ行った話を途中で放置していた模様……。(苦笑)

牛つなぎ石

松本の駅から徒歩でお城へ向かったのですが、その途中で「牛つなぎ石」なるものを発見。
上杉謙信が甲斐の武田へ塩を送ったとする例の「敵に塩を送る」を語るものでした。
ここ松本は当時武田の支配下にあって、その塩の通り道だったとのこと。
塩を運ぶ牛をこの石につないだという言い伝えがあるようです。

そして松本城。

松本城

私が最初に感じたのが、「小さいっっっ!」ということでした。
黒いお城を見るのは熊本城に続いて2つ目なんですが、
どうも黒いお城=デカイというイメージがあったみたいで、
しばらくは「小さいよーーー」ということにちょこっとガッカリしてました。

しかし天守に登ってみるとね、シンドイ。(爆)
なぜにこんなにも階段がキツイのか。
年か? 年なのか?!
いえね、事前に天守に上るのはかなりキツイとはわかっていたんですよ。
しかし実際に自分の足を使ってみると、本当にハンパないことを実感。
当時だってこんなところはしょっちゅう登り降りする場所じゃなかったとは思いますが、
とにかく一段一段の高さがもう拷問のよう。(苦笑)

松本城

こういう狭間とか石落としとか見ると「わあ、お城だー!」って思います。(笑)
ただ私にとって城って、江戸時代のお殿様のものというより、
やはり戦国武将の「城」なんですよね。
そういう意味では近世の城郭ってどこか現実離れしているというか、
上手く言えないのですが「シンボル」とでもいうのかな、そういう印象が強いです。

松本城は、戦国期小笠原氏の深志城が前身です。
ところで松本藩の初代藩主って石川数正だったんですね。
石川数正は「家康の古参だったのに秀吉のところに走っちゃった人」という知識しかなかったので、
まさか初代藩主だったとは知りませんでした。
実はお城の入口に掲げてあった歴代藩主の額を見て、初めて知った次第。(苦笑)

松本城

濠からの眺めもステキです。
松本城は周りにビルとか現代建築物がないのがいいですね。
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[ 2014/05/03 23:44 ] 史跡めぐり | TB(0) | CM(4)

囲炉裏ばた 

住宅街の雪はほぼ消えました。
春らしい香りも漂ってきて、「やっと春だー」と思ったんですが、
どうもこの週末からまた雪がちらちら降るとの予報。
もう除雪車を出すほどの雪にはならないと思いますが、さすがに今年の雪には参りました。
何でもほどほどがいいとつくづく思いますが、この夏はまた猛暑とか言われてますね。(汗

旧武田家住宅

まだ雪が残っておりますが……。
市内最古の民家と言われる「旧武田家住宅」を見てきました。
作られたのは1700年代前半とのこと。
武田家の先祖は、越後に逃れた甲斐武田一族の武将とのことなんですが、
この「越後に逃れた」という部分が気になります。
いつ、なぜ、という部分が書かれていないので想像するしかないんですが、
少なくとも天和元(1681)年には越後に入っていて、その時点で3代目になっているので、
やはり天目山のあと逃れてきたということになるんでしょうか。

建物は改築、増築されていまして、明治期の増築では床高を上げて中2階を作っています。
この辺りは信濃川と中之口川の影響で水害が頻繁にあったため、
その対策のために増築部分を中2階構造にしたのではないかとのことでした。

座敷

訪ねたのは、春の兆しはどこへやら、寒さの戻った1日でした。
中では囲炉裏の炭が爆ぜてました。
こういう風景って、どこか心をほっこりさせますよね。
秋にはかまどでご飯を炊いたり、草鞋作り体験のイベントもあるみたいです。
囲炉裏ばたに座っていた方々が昔話に花を咲かせておられましたが、
「春が待ち遠しいのぉ~」
の一言が本当にしみじみと響き渡りまして。
早くぽかぽかした陽射しを浴びたいです。
[ 2012/03/09 19:37 ] 史跡めぐり | TB(0) | CM(4)

国宝 ~長崎紀行6 

小分けにUPしたおかげでなんと第6回を迎えてしまった長崎紀行。
今回は国宝訪問です。
調べたところによると、現在九州には国宝(建造物)が5つあり、そのうち3つが長崎にあるんだとか。


まず1つ目が大浦天主堂
正式な名称は「日本二十六聖殉教者天主堂」です。

大浦天主堂

グラバー園の隣に建つ大浦天主堂は、
来日したフランス人のフューレ、ジラール、プティジャンの3神父の指導により、
元治元年(1864)12月29日に俊工、翌年慶応元年(1865)2月19日に落成した、
現存する中では日本最古のカトリック教会です。
正式名称の通り、日本二十六聖殉教者に捧げられた教会で、
当時はその外観の珍しさから、近隣からの見物客がいっぱいいたようです。
日本二十六聖殉教者は秀吉が出した禁教令によって処刑されたキリシタンたちですが、
私はここへ来ると遠藤周作の「沈黙」を思い出します。
あれはもっと後の時代の話ですが、読んだ当時主人公が実在の人物と知らなかったので、
転びキリシタンという事実がとてもショックでした。

天主堂

信徒の増加にともなって教会が手狭になり、明治に入って拡張工事をしたそうですが、
正面に大きく掲げられた「天主堂」の文字が、
まだ教会が一般には未知の建築物だった時代を象徴しているように思います。
HPを見たら、キリシタン資料室というのが併設されていたようなんですが、
気づかずにスルーしてしまいました。
踏絵なんかを見ることができたようで、惜しいことをしました。


続いては聖寿山崇福寺です。
こちらは長崎に在留していた福建省出身の人々が、故郷から超然という僧を迎えて開山しました。
寛永6年(1629年)の創建で、中国様式の寺院としては日本最古のもの。
どうも幕府のキリシタン弾圧を受けて、中国の人たちは「仏教徒である」ことを証明するために、
こうした寺院を建てていったという背景があるようです。

崇福寺三門

三門はこの面白い形から「竜宮門」と言われているそうで、
開山よりも200年以上後、嘉永2年(1849年)に建てられたそうです。
本当に乙姫様が住まっていらっしゃいそうな門ですよね~。
ちなみにこれは国宝ではありません。(重文指定は受けています)


国宝はまずこちらの第一峰門。
海天門、唐門、赤門などとも呼ばれるそうです。

第一峰門

朱でもなく紅でもなく赤でもない、この赤に属する色は中国独特のものだなあと思います。
ここで目を引くのは軒下の「四手先三葉共(よてさきさんようきょう)」と呼ばれる詰組でしょうか。(*注釈)
吉祥模様が鮮やかに描かれています。

第一峰門の軒下

この門をくぐるとさらに国宝が待っています。
本堂の大雄宝殿。
御本尊様は釈迦如来です。

大雄宝殿

長崎市内に残る最古の建物だそうですよ。
特徴は軒にぶらさがってる「擬宝珠付き垂花柱」とのことですが、
中国の建築様式にはよく見られるもののようですね。

擬宝珠付き垂花柱

ここは擬宝珠付きということでわりとシンプルなデザインですが、
調べてみたら結構派手な装飾がされているものもあるようでした。
崇福寺はとにかく全部国宝か重文なので、中国の建築様式に興味のある方にとっては、
本当に垂涎の建物ではないかと思われます。
私ももっと中国または仏教の建築様式に明るかったら、
この訪問はさらに興奮したものになっただろうなあと思います。
それだけ、素人目に見ても圧倒的な存在感を誇る禅寺でした。

ちなみにここ、「龍馬伝」のロケが行われたところなんですが、
旅行中にはまったくそれが思い出せなかったものの、写真を整理していておぼろげに思い出しました。
そういえばこの赤い中で龍馬と高杉晋作が話していたっけ……。
そちらの方は、ぜひAkiさんのレポでご堪能くださいまし。(丸投げ!)

日本最古のカトリック教会と、市内最古の寺院が残る長崎という町。
唐人屋敷があって、外国人居留地がある町。
そこが日本の他の都市とは全く違う趣を持った、「日本の中の異国」だったことを肌で感じました。
江戸時代、何かを成し遂げたいと思う人たちがこの地を目指したこともよくわかるし、
彼らが何度もここを訪れたくなったのもまたわかるような気がしますね。

(*)四手先三葉共→「共」の字は正しくは木偏に共
[ 2011/10/15 12:39 ] 史跡めぐり | TB(0) | CM(2)

官官接待の始まり ~長崎紀行5 

長崎に来たらやはり卓袱料理は逃せません。
大きなテーブルに所狭しと並べられる大皿料理。
卓袱料理がいつ頃から長崎に現れたのかわかりませんが、
ルーツはおそらく中国の円卓料理ではないかと思います。
オランダのターフル(テーブル)料理がもととも書かれていますが、
鉢や皿を回してそれぞれ自分の箸で料理を取るというスタイルは中華料理に近い気がします。
そこには、汁椀物があって焼物があって、煮物があって、八寸に似たものや鉢物があってと、
どこか懐石料理の名残も見えますが、内容が和洋折衷なのが長崎卓袱料理ですよね。
長崎名物の東坡煮(とうばんに・いわゆる角煮)や、
ハトシ(パンに海老のすり身をはさんで揚げたもの)なんかもメニューに入っているようです。

で、長崎に数ある料亭の中から我らが選んだのがこちら。

一力

料亭 一力」さんです。
休日で、少人数で手軽にお昼が頂けるところとなると、選択肢がぐっと狭まりまして。
文化10年(1813年)創業のこちら、亀山社中からとても近いのです。
坂本龍馬や亀山社中に関連した人たちがここに集ってもおかしくありません。
丸山の花月もですが、幕末の頃はこうした料亭で志士たちが会合を重ねていました。
思えば、なぜ密談や話し合いの場に料亭が選ばれたのでしょう。
部屋が広いから? 出入りしやすいから? 酒肴が出るから? 怪しまれにくいから?
そもそもこういう料亭で会合を持つと、どのくらいの金子がかかったんでしょうか。
そしてその出所は?
いずれにしても、将来彼らが明治政府の高官=政治家になっていくわけで、
後の「赤坂の料亭でほにゃらら」といったいわゆる官官接待なるものは、
この頃からその基礎が作られつつあったのだなあとしみじみ思いました。


姫重しっぽく

我ら姫は姫らしく、「姫重しっぽく」をいただきました。(笑
卓袱料理のエッセンスがぎゅっとつまったお得な昼のお重です。
できればおしながきを添えてほしかったなあ。
ご飯は9月だから菊の形だったのでしょうか。
もう少しあとだと銀杏の形とか、桃の節句は扇の形とか、いろいろあるのかな。
ほんと、これで十分満足♪
こんな料理が並んだ大きな円卓を囲んで、
髷の男たちがあーでもないこーでもないってやってるのを想像するのも、
妄想族としては非常に面白いものですな。(笑
[ 2011/09/26 23:01 ] 史跡めぐり | TB(0) | CM(2)

リベンジ亀山社中 ~長崎紀行4 

前回長崎に行ったのは5年前の春。
あのときは仕事だったので、長崎観光はおまけでした。
当然のごとく、何のリサーチもせずに行ってしまった亀山社中。
長い長い坂をパンプスで登り、途中で帰りたくなったりしながらもたどり着いてみたら。

*****************
*  閉館しました *
*****************

無情な立て看板が私を迎えました。

うっそー、ここまで登ってこさせておいて門前払いですか?
せめて坂の下に案内出しておいてほしかったよ……。
8cmヒールのパンプスで登ってきたぜよーーー。(涙

と、そんな思い出のあるこの場所をリベンジしました!
「亀山社中記念館」 HPもできたのねー。

亀山社中

今回は開いてたぜよーーー!
記念館の真新しい看板がひときわ目を引きます。
もともとここは長崎の豪商が持つ亀山焼の施設があったらしく、
それを坂本龍馬たちは借り受けて社中の本拠地としたようです。
グラバー邸同様に、ここにも屋根裏部屋が存在します。
そのゾーンは撮影禁止だったので証拠写真がないんですけど、梯子を上って屋根裏も覗けます。
解説の方の話では「ここに隠れて外へ逃げた」ということだったのですが、
私にはそれがどうにも腑に落ちませんでした。
というのも、屋根裏から外へ抜けようとすると、玄関前に出てしまうからです。
実は幕末の亀山社中では、今の記念館の入り口の反対側に玄関があったんだそうで、
構造的に、玄関の上に屋根裏部屋があったことになります。

亀山社中の図

超いい加減な図で申し訳ないですが、意味を分かっていただければ。
つまりですね、図のように玄関の上に逃げ部屋があったとすると、
逃げたときに玄関前に出てしまうというおバカな状態になってしまうわけですよ。(苦笑
おかしいなあ、おかしいなあと思いながら帰ってきて調べたところ、
とあるブログに「この屋根裏部屋は見張り部屋だった」との記述を発見!
あああ、それならわかるわ~~~。

この屋根裏部屋から外を見張っていて、いざというときには現在の入り口から逃げた

これだとしっくりきます。
現在の入り口がかつて裏口などとして利用されていたかは定かじゃありませんが、
見張り部屋だったという方が納得はできるかなあと。

こうやって見張りだの秘密の隠れ部屋だのをじかに見ると、
幕末がいかに緊迫した時代であったかを痛感します。
それぞれの目的が何であれ、そのために動くことは常に死と隣り合わせであるということ。
殺気をはらんだ時代のエネルギーに鳥肌が立つような気がしました。

[ 2011/09/24 02:44 ] 史跡めぐり | TB(0) | CM(4)

グラバー園 ~長崎紀行3 

仕事先に「ちょっと長崎まで旅行に行ってきます」と言ったところ、
「ハウステンボス? 佐世保バーガー?」と即聞き返されました。
私は結構意外だったんですけど、一般的には長崎といったらこちらのほうが知名度が高いんでしょうか?

ってことで、とりあえず長崎旅行鉄板のグラバー園でございます。

グラバー邸

ここはみなさんよく御存じの旧グラバー邸。
日本最古の木造洋館で、国の指定重要文化財です。
この日はちょっと天気が怪しくて、残念ながら曇り空。
同行の友(というより専属ガイド・笑)のAkiさんが、
「今年はグラバーの没後100年なのに、何もやってない……」とつぶやいていたように、
今年2011年はグラバーが亡くなってちょうど100年目に当たるとはいうものの、
ご当地では催し物どころか特に看板なども見当たらず……。
調べてみたら、園内の旧三菱第2ドックハウスでパネル展示をやっていた模様。
や、これも見たんですけど、通常展示だと思ってました。(苦笑
あとビアガーデンもやってたんですけど、これも没後100年イベントの一環だったみたい。
もちろん協賛はキリンビールです。(笑
HPによると、家は正面玄関を設けないクローバー型の建築で、最初は接客用の別邸だったそうです。
別邸だから正面玄関のない、避暑地風の造りなんですね。
そうじゃなかったら、いくら港を望めて見晴らし最高とはいえ、
こんな坂のてっぺんに家を建てませんよねえ。


隠し部屋

これが今回のお目当て、グラバー邸天井裏の隠し部屋です。
ここは廊下で、写真の下方にグラバーの妻ツルさんのお部屋があります。
鏡に映っているのは内部に隠してある梯子でしょうか?
グラバーの周りに集まった幕末の志士たちが、
ここにかくまわれたり密談したりしていたとかなんとか……。
っていうか、ここからの角度じゃ何にも見えないんですけど?
中に2部屋あるっていうけど、全然わかりません。
そもそも現場では、あまりに暗くて黒い穴が開いていることしかわかりませんでした。
家に帰ってきてPCで写真を見て、初めて「鏡」の文字の意味も分かった次第……。(汗
こういう隠し扉的なものって、ヨーロッパのお城や邸宅でもよく見かけますけど、
扉の切込みが結構バレバレなので、意外と簡単に見つかるんじゃなかろうかと思われます。
隠し部屋へ通じるとか隠し通路に通じるとかって小説なんかにも出てきますけど、
ああいうものが内部にあることは追手には多分わかってることだろうし、
一部屋ずつ見ていったらあっさりわかっちゃうんだろうなあと。
隠れることが目的というよりも、やはりそこを通路として隣室に逃げるとか、
時間稼ぎ的な意味が大きかったんじゃないかなあと思います。
ただここの屋根裏は外へ通じていないみたいなので、バレたら逃げられないのかもしれない。
女性の部屋の前に作るというのは、良く考えてますね。

長崎港

グラバー邸を出ると、目の前に三菱の造船所が。
つい「弥太郎ーーーーーっ!」と叫びたくなります。(笑
昨日、三菱重工のコンピューターがサイバー攻撃でウィルス感染したとのニュースで、
ちょうどあの赤いタンカーがテレビ画面に映ったときも、「あ、弥太郎!」と思ってしまいました。
多分「龍馬伝」の総集編で、香川照之さんが眺めていた図が頭に残ってるからだと思います。(苦笑

長崎も3回目ならグラバー邸も3回目。
でも今回が一番充実した見学だったかな。
みんなが探すであろうハートマークについては、その存在を全く忘れておりました。
それにしてもグラバー園て、いろんな時代のいろんな洋館を移築して寄せ集めたところだったんですね。
今回初めて知りました。(遅
[ 2011/09/21 22:37 ] 史跡めぐり | TB(0) | CM(2)

月で兎は何をする ~長崎紀行2 

旧暦8月15日に行われる中秋節。
今年は9月12日ということで、長崎新地の中華街もお祭りで賑わっておりました。
中秋の名月なだけあって、お祭りの開催も夕方から。
ちょうちんやランタンに明かりが灯って気分も盛り上がります。

長崎新地中華街

中華街の十字路、東西南北四つの門に祭壇が置かれ、それぞれ神様が祭られていました。
こちらは関聖帝君、関帝です。
多分東側だと思うんですが、合ってますか? <中国に詳しい方
お供えには果物のほか、大きな海老(ザリガニ?)や豚さんの頭などもありました。
さすがに豚さんの頭を写すには忍びなく、ぎりぎり関帝に迫った撮影に。(笑

祭壇(関帝)

↑祭壇前の5つのお茶の茶碗と、酒用と思われるこれまた5つの器が気になります。
なぜ5つなのか? 何が入っているのか? <中国に詳しい方~
ちなみにこの四門にはそれぞれ玄武、白虎、朱雀、青龍の4つのスタンプが置いてあり、
すべて制覇するとお月見のお供である月餅をもらえるようになっています。
月餅はモノによってはかなり油っぽいですし、
当然高カロリーなので食べるかどうかちょっと迷ったんですが、
ここでいただいたものは油っぽくもしつこくもなくて結構おいしくいただけました。
ああ、高カロリーであることには間違いないでしょうが。(苦笑
モノはすでに食べてしまって写真に残らず……。

玉兎のオブジェ

私、最初にこのオブジェを見たときから疑問に思っていました。
なぜこの兎には天女さまが張り付いているのでしょうか?
日本で月に兎といえば、インドから伝わったあのお話が有名ですよね。
身体の弱った老人が狐と猿と兎の前に現れて、兎だけ食べ物を見つけられなかったあの話。
余談ですが、この話、私の中では最後になぜか「因幡の白兎」が混ざっていて、
自分の身を焼いた兎はそのあとでガマの穂にくるまれて月へ行ったことになっております。(謎
なので、お盆用の花に入っているガマの穂を見ると、
どうしても丸焼きになった兎を思い出してしまう……。
子どもの頃覚えたものって、奇妙な記憶となって残るものですねえ。
ところで餅をつくわけはなんでしたっけ?
中国では、月には嫦娥(じょうが)という仙女がいるとされているんですね。
これがオブジェの天女様の正体か!
物語は非常に示唆に富んだものになっているので、こちらあたりで一読していただくとして、
中国では兎は薬草をついてるんだとか……さすが中国!!!
長崎滞在中、毎日このオブジェを朝晩見ていましたが、ずっと餅をついていると思ってました。(苦笑

月餅の写真は撮り忘れたけど、中国銘菓「よりより」はこちらですぞ。

よりより

小麦粉に砂糖を入れてこね、油で揚げる素朴なお菓子。
固めのかりんとうって感じでしょうか。
これ、歯科治療中の方にはキケンな食べ物ですねーーー。

というわけで、今年のお月見は初めての中華バージョンで楽しみました。
[ 2011/09/15 23:50 ] 史跡めぐり | TB(0) | CM(6)

中秋の名月~長崎紀行1 

昨日の名月はみなさまご覧になりましたか?
6年ぶりに満月を見ることができたそうですね。
私は一足早く、長崎の稲佐山で月を愛でてまいりました。

稲佐山の月

眼下に広がる長崎港と長崎の街。
函館山の夜景は100万ドルの夜景と謳われておりますが、
稲佐山からの夜景は1000万ドルだそうですよ。(案内板より)
真実はぜひ、ご自身の目で確認してくださいまし。(笑
今ではネオンの灯る夜景の美しさが魅力ですが、
ほんの150年くらい前は真っ暗だったんだろうなあと思います。
満月だけでなく、満天の星空が広がっていたのでしょうね。
人工の光がなく、鬱蒼とした森が闇をつくるさまは、
人々に神秘性と畏怖とを与えたことと思います。
それが人間をある意味謙虚にさせていたとも感じます。
3月の震災から半年、やはりいろいろと思うことがあります。
幕末を巡る長崎の旅、ぼちぼちUPしていきたいと思います。
[ 2011/09/13 21:00 ] 史跡めぐり | TB(0) | CM(2)

高田城のはずが…… 

ひょんなことから高田へ行くことになり、
「春日山城にもまだ行っていないのに!」とかわけのわからないことをつぶやきつつ、
電車で訪問してから早2か月。
因みに高田駅は春日山の駅の隣りです。
正直旅行記というよりネタにしかならない旅でしたが、とりあえずプチメモ。


越後高田駅

まず高田駅。
ガラス窓がステンドグラスになっているのがお洒落です。
高田にはなんとなく教会のイメージがあるんですが、この外観の由来は何なのかな?


街灯

そして街灯に注目!
左が榊原家の源氏車、右が松平家の三つ葉葵です。
それぞれの紋の街灯が交互に建っているのですが、
城下町を演出していて、歴史スキーにはちょっと嬉しいですね。

高田は豪雪の街。
雪の降り積もる時期でも歩けるように、
家々の軒を道路側へ延ばした形の雁木(アーケードみたいなもの)が有名です。
写真に収めたかったけど、うまい具合に入らなかったので割愛。
でも古くから残る雁木にはやはり味わいがあります。
ぜひ実物をご覧いただきたく。


高田城址

駅からてくてく歩いて高田公園にやってきました。
かつて高田城があった場所です。
外堀いっぱいに蓮が広がってます。
そう、ここは蓮も有名。
由来は確か廃藩置県になったときに、戊辰戦争や凶作で困窮していた高田の財政を救うため、
お堀にレンコンを植えたのが始まりだったと思います。
真ん中を通っている赤い橋が多分蓮見橋。
あそこから見ると、360℃蓮の池という風景が味わえるんだと思います。
花の季節じゃなかったのが残念でした。

時間制限があるので駆け足です。
ずんずん歩いてお城の中心部へ向かいます。
高田城というと、上杉スキーな自分はちょっと感傷的になってしまいます。
越後から会津、さらに米沢へと移った上杉家。
上杉家が去った越後には堀家が入り、その後家康の6男松平忠輝が入ってきます。
松平忠輝は越後入封から3年、新しい城を造る計画を立てます。
そしてその地に選んだのが、春日山城からもそう遠くない菩提ヶ原と呼ばれるところ。
普請は幕府の命によるものだったため、各地の大名がその役に服することになり、
上杉家もその役目を仰せつかりました。(総帥は伊達政宗)
しかし……会津へ引っ越し、関ヶ原を経て米沢へ入った上杉家にとって、
故郷の地に他人のための城を建てるということは、
まったくの無心ではいられなかったんじゃないかと思うんですよ。
よく上杉家は越後を去るとき、「いずれ故郷へ帰るつもりでいた」とか言われますが、
それはともかくとして、長い間を過ごした懐かしい土地への帰還が、
他人のための城を築くためだなんて、やっぱり「何か思うところがある」んじゃないかなあ。
だって春日山城址から、ものすごく離れているわけでもないんですよ?
男性はそんな感傷には浸ったりしないものでしょうか。
私だけかな、ちょっと切なくなってしまうのは。
城は当然残っていませんが、
そんなわけもあって復元された三重櫓を複雑な気持ちで見に来たんです。


高田城三重櫓

Σ( ̄ロ ̄lll)

ナニコレ?
あのちょっとだけ尻尾が見えてるのはなに????


お詫び

えええええええええええええ……。
結構雨が降ってる中を歩いてきたのに、まさかの目隠しの刑とは。
一気にテンション下がりました。
ついでに雨脚も強くなってきたので、とぼとぼと町中へ戻ることに。

そしてネタ発見。


愛

これは、自分的にはNGだと思いますデス。
だってこれ、教会の壁にかかってた看板ですし……。

あとで地図見たら、ほかにも見所がいろいろあった高田の街。
リベンジすることを誓います。
[ 2011/08/20 23:08 ] 史跡めぐり | TB(0) | CM(6)

運を守る新田神社 

大田区の新田神社へ行ってきました。
ここは新田義貞公の次男、新田義興公を祀った神社です。
新田さんが越後にいたことは知っていますが、南北朝に関する知識はほぼゼロです。
そんな私がなぜこの神社へ行ったかというと、
どうも今年に入ってから「ついてないなあ」と感じることが多かったので、せっかく都内へ出るのなら、
パワースポットへ行ってお祓いとお浄めをしようと思い立ったからです。
いろいろパワースポットや神社の御利益などを検索してみたところ、

「新田大明神」は武運長久・家運隆昌・必勝開運、運を守る神つまり守護神としての恩恵を施す

とあり、これだ!と思った次第。
それで調べてみれば「あらら、新田義興公の神社なのね」と。
特に今年のパワスポというわけではないと思いますが、ワタクシの勘に従い行ってみました。

新田神社

武蔵新田の駅から徒歩3分とあったのですが、
行けばわかるだろうと思ってあまり道を確かめておかなかったため、ちょいと迷ってしまいました。
ものすごい突風の中を歩いて歩いてたどり着いてみたら、
本当に商店街の中にあって地元の鎮守様という感じ。
暖かい雰囲気が心地よくて、近所にこういう場所があるのはいいなあとうらやましく思いました。

御神木

こちらの御神木は欅で樹齢700年。
江戸時代に雷が落ち、その後戦災で真っ二つになってしまったそうですが、
今でも春には芽吹いて緑の葉を茂らせるそうです。

御神木について

霊験に「若返り」があるところにどうしても目が行ってしまいますね。(笑
私も時間の許す限り御神木に寄りかかって「気」をいただいてきました。
そのどっしりとした大きさに、なんだか子どもに返る気がしました。
とても不思議……。

実はこちらの神社、なぜか恋愛運アップにもご利益があるという情報を事前にキャッチしておりました。
何しろLOVE神社という石碑まで立っているのですから、何かあるのでしょう。
でもなぜなのかわからず……。
行ってもわからず……。
帰ってきてから再度調べたら、どうも境内にハートマークがある模様。
そのせいなのか……? 
それで恋愛運にもご利益があると言われているのか?

最後にお守りをいただいてきました。
そのとき私、生まれて初めて、「ご加護がありますように」と言われました。
神社ではお守りは売買とは言わないですよね。
たいてい「〇〇円お納めください」→「ありがとうございました」の流れだと思うんですけど、
こちらの神社では「ご加護がありますように」!
うわー、なんだかめっちゃ感動してしまいました。
神社の雰囲気もとてもいいですし、また参拝に来よう。
今度は近くの史跡めぐりもしたいところです。
[ 2011/03/04 23:16 ] 史跡めぐり | TB(0) | CM(2)


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