天地人リレー講演会 第11回
2008年10月01日 (水)
「篤姫」がクランクアップして、いよいよ「天地人」も撮影が本格的になってきたようです。
ずっと想像するだけだったものが、だんだん形になってきているかと思うと不思議な気持ち。
そんな中、天地人リレー講演会に行って来ました。
今回のテーマは「直江状と江戸時代の教育文化」。
直江状の存在を歴史的事実の観点から考察するのではなく、
教育という面から見ていくという、これまでとはちょっと違ったアプローチが非常に新鮮でした。

直江状というのは原本が存在せず、写しという形で伝わっているわけですが、
実はこれ、江戸時代手習いの教科書だったというのです。
そこで以前通った江戸文化の講座で習ったことを思い出しました。
江戸時代の教科書は「往来物」といって、子供たちはこれを持って寺子屋に通いました。
商人の子供は商人往来を、職人の子供は番匠往来を、農民の子供は百姓往来をと、
それぞれ別な教科書で学ぶので、寺子屋では当然マンツーマンの授業となります。
かえって刺激を受けそうな授業風景ですよね。
直江状もそういう「往来物」の1つだったそうなのですが、
じゃあ直江状で何を学ぶのかというと、消息文(候文)の書き方。
当時は言文一致ではないので、そこのところはきちんと学ばないといけない。
いろはを習って漢字を習って、さらに文章語を習わないと書状が書けないわけです。
その候文を学ぶためには、著名な人が書いたとされる歴史的な書状が、
教科書として最適だったんですね。
ではその直江状が往来物として最初に登場するのはいつかというと、1654年。
直江状が書かれたのが1600年ですから、わずか54年で教科書になっちゃってるんですよ。
京都の中村五郎右衛門さんというところから、往来物の冊子として出版されています。
どうも1600年代というのはこうした歴史的書状による往来物の出版がブームになっていたようで、
その流れの中で直江状も刊行されたのではないかということでした。
しかしこの直江状、みなさんよーくご存知のように長いです。
とてつもなく長く、なおかつ難しいです。
普通の書状が3−4ページのところ、直江状は20ページ近くもあるそうで、
そんなものを候文のお手本にするのはどうなのか?と。(苦笑
1915−1917年に手習いのお手本としてどの往来物を使ったかという調査をしたところ、
3090人の解答があって、直江状使用者は1名ということでした。
これだけ長くて難しいんじゃ、使う人も少なくて当然な気もしますが……。(苦笑
それでもこの程度の調査で使っている人がいただけ、それなりに知られていたんだろうとのこと。
因みに人気ナンバー1の書状は今川状。
こちらは教訓系の文書なので、候文の練習をすると同時に道徳も学んでいたんでしょう。
他に弁慶状だとか腰越状なんかが人気だったようです。
では、書かれてから50余年で教科書になった直江状は本物なのかどうか。
今現在確認できる直江状の写しは9つあり、最古のものは1640年の下郷本です。
これと同じ内容のものが1654年刊行の往来物。
しかしそれ以外のものも含め、これら9つの写しは文章が変わっていたり、
一節丸ごと入っていなかったり、かなりの異同が見られます。
一番信用すべき上杉家御年譜の直江状についても、1700年以降に書かれており、
下郷本とは随分異なる上に、普及していた往来物によく似ているため、
それらの往来物から採取したのではないかと仰っていました。
研究者の間でも偽書派と本物派がいて結論は出ていないそうですし、
一応家康を怒らせるような挑発的な書状は書いたんだろうけど、
それがこの直江状なのか、別な書状なのかはわかっていないのが現状のようです。
先生個人の考えとしては、この直江状は「面白すぎる」と仰ってました。(笑
例えば第9条に、<武器を集めるのは上方の武士が茶道具なんかを集めるのと一緒。
国による違いとご了解ください。>とあるのですが、
「そんなの了解できるわけがないです」と、先生の鋭いツッコミが。(爆
もしかしたら腰越状なんかと同じように、面白く作られたものなのかもな〜なんて?
でも、たとえ作り物だとしても、内容的には非常に良く出来ている書状ですよね。
下郷本が1640年のものですから、江戸幕府がその土台固めをしていくそんなときに、
徳川をバカにしたり挑発したりするようなものが出回っていたとするならば、当時世間では、
徳川に対抗した上杉の存在に共感した人達もいるということなんじゃないでしょうか。
なかなか面白い講演会でした。
ずっと想像するだけだったものが、だんだん形になってきているかと思うと不思議な気持ち。
そんな中、天地人リレー講演会に行って来ました。
今回のテーマは「直江状と江戸時代の教育文化」。
直江状の存在を歴史的事実の観点から考察するのではなく、
教育という面から見ていくという、これまでとはちょっと違ったアプローチが非常に新鮮でした。

直江状というのは原本が存在せず、写しという形で伝わっているわけですが、
実はこれ、江戸時代手習いの教科書だったというのです。
そこで以前通った江戸文化の講座で習ったことを思い出しました。
江戸時代の教科書は「往来物」といって、子供たちはこれを持って寺子屋に通いました。
商人の子供は商人往来を、職人の子供は番匠往来を、農民の子供は百姓往来をと、
それぞれ別な教科書で学ぶので、寺子屋では当然マンツーマンの授業となります。
かえって刺激を受けそうな授業風景ですよね。
直江状もそういう「往来物」の1つだったそうなのですが、
じゃあ直江状で何を学ぶのかというと、消息文(候文)の書き方。
当時は言文一致ではないので、そこのところはきちんと学ばないといけない。
いろはを習って漢字を習って、さらに文章語を習わないと書状が書けないわけです。
その候文を学ぶためには、著名な人が書いたとされる歴史的な書状が、
教科書として最適だったんですね。
ではその直江状が往来物として最初に登場するのはいつかというと、1654年。
直江状が書かれたのが1600年ですから、わずか54年で教科書になっちゃってるんですよ。
京都の中村五郎右衛門さんというところから、往来物の冊子として出版されています。
どうも1600年代というのはこうした歴史的書状による往来物の出版がブームになっていたようで、
その流れの中で直江状も刊行されたのではないかということでした。
しかしこの直江状、みなさんよーくご存知のように長いです。
とてつもなく長く、なおかつ難しいです。
普通の書状が3−4ページのところ、直江状は20ページ近くもあるそうで、
そんなものを候文のお手本にするのはどうなのか?と。(苦笑
1915−1917年に手習いのお手本としてどの往来物を使ったかという調査をしたところ、
3090人の解答があって、直江状使用者は1名ということでした。
これだけ長くて難しいんじゃ、使う人も少なくて当然な気もしますが……。(苦笑
それでもこの程度の調査で使っている人がいただけ、それなりに知られていたんだろうとのこと。
因みに人気ナンバー1の書状は今川状。
こちらは教訓系の文書なので、候文の練習をすると同時に道徳も学んでいたんでしょう。
他に弁慶状だとか腰越状なんかが人気だったようです。
では、書かれてから50余年で教科書になった直江状は本物なのかどうか。
今現在確認できる直江状の写しは9つあり、最古のものは1640年の下郷本です。
これと同じ内容のものが1654年刊行の往来物。
しかしそれ以外のものも含め、これら9つの写しは文章が変わっていたり、
一節丸ごと入っていなかったり、かなりの異同が見られます。
一番信用すべき上杉家御年譜の直江状についても、1700年以降に書かれており、
下郷本とは随分異なる上に、普及していた往来物によく似ているため、
それらの往来物から採取したのではないかと仰っていました。
研究者の間でも偽書派と本物派がいて結論は出ていないそうですし、
一応家康を怒らせるような挑発的な書状は書いたんだろうけど、
それがこの直江状なのか、別な書状なのかはわかっていないのが現状のようです。
先生個人の考えとしては、この直江状は「面白すぎる」と仰ってました。(笑
例えば第9条に、<武器を集めるのは上方の武士が茶道具なんかを集めるのと一緒。
国による違いとご了解ください。>とあるのですが、
「そんなの了解できるわけがないです」と、先生の鋭いツッコミが。(爆
もしかしたら腰越状なんかと同じように、面白く作られたものなのかもな〜なんて?
でも、たとえ作り物だとしても、内容的には非常に良く出来ている書状ですよね。
下郷本が1640年のものですから、江戸幕府がその土台固めをしていくそんなときに、
徳川をバカにしたり挑発したりするようなものが出回っていたとするならば、当時世間では、
徳川に対抗した上杉の存在に共感した人達もいるということなんじゃないでしょうか。
なかなか面白い講演会でした。
COMMENT
by Aki_1031
直江状が往来物だったというだけでも面白いのに、
腰越状までもが往来物だったなんてー!(笑)
江戸時代の教育は、お手本となる書簡の内容には
拘らなかったのでしょうか?(爆)
や、むしろ文語体と同時に、言い訳の仕方とか、
こっちも悪かったけどお前も悪いよ!的な言い回し(笑)とかを
同時に学んでいたりしてたらウケます。
ツッコミ入れつつ、候文の書き方を学んでいたかも…と
想像すると、かなり笑えますね〜♪
腰越状までもが往来物だったなんてー!(笑)
江戸時代の教育は、お手本となる書簡の内容には
拘らなかったのでしょうか?(爆)
や、むしろ文語体と同時に、言い訳の仕方とか、
こっちも悪かったけどお前も悪いよ!的な言い回し(笑)とかを
同時に学んでいたりしてたらウケます。
ツッコミ入れつつ、候文の書き方を学んでいたかも…と
想像すると、かなり笑えますね〜♪
■リューザキ弾正どの by カタリーナ
>地模様に「愛愛愛愛愛愛愛・・・」
あはははは!(爆
ありそうな気はしていましたが、本当に着るんだー。(苦笑
いったいいつ着る着物なんでしょうか?
やっぱり家康に頭を下げに行くときでしょうか?
ほかにも「愛」グッズが出てきそうだ。
そういった面にも注目な来年ですね。(笑
あはははは!(爆
ありそうな気はしていましたが、本当に着るんだー。(苦笑
いったいいつ着る着物なんでしょうか?
やっぱり家康に頭を下げに行くときでしょうか?
ほかにも「愛」グッズが出てきそうだ。
そういった面にも注目な来年ですね。(笑
■Akiさん by カタリーナ
これらの往来物では候文の書き方を学ぶんですけど、
基本的にはお手紙の書き方を勉強するのが目的でもあるので、
その面でも効果のあるものでないといけないと思いますが、
教訓めいた内容ばっかりでも面白くないでしょうし、
硬軟使い分けみたいな感じで出版されたんじゃないでしょうか。
でも反面教師にするとか、反駁の仕方、謝罪の仕方、情への訴え方(苦笑)とか、
それなりに学べそうではありますよね。
先生のようにツッコミつつっていうのも楽しいんじゃないかと。
腰越状は室町期の創作と先生はされてましたが、
義経関係の書状はいろいろ往来物になってますし、
やはり昔から義経人気はすごかったんでしょうね〜。
基本的にはお手紙の書き方を勉強するのが目的でもあるので、
その面でも効果のあるものでないといけないと思いますが、
教訓めいた内容ばっかりでも面白くないでしょうし、
硬軟使い分けみたいな感じで出版されたんじゃないでしょうか。
でも反面教師にするとか、反駁の仕方、謝罪の仕方、情への訴え方(苦笑)とか、
それなりに学べそうではありますよね。
先生のようにツッコミつつっていうのも楽しいんじゃないかと。
腰越状は室町期の創作と先生はされてましたが、
義経関係の書状はいろいろ往来物になってますし、
やはり昔から義経人気はすごかったんでしょうね〜。
お疲れさまでした! by びびんば
なるほど・・・手習いの手本で使われていたのですか!
それで「江戸の教育文化」なんですな〜
長すぎるけど、面白おかしい(?)内容だから、身に付きそうな教科書ではあるような・・・(ぷぷっ!)
下郷本が出始めた頃は、武断政治の影響で、藩が減封&改易などで路頭に迷った牢人があふれていた時期ですよね〜
そう言う牢人達が「直江状」を面白おかしく(?)作ったとか・・・(ぷぷぷっ!)
県立歴史博物館の会場も、やはり椅子オンリーですか?
人を一杯入れるとしたら、机つきというのは難しいでしょうが、メモをとるのにはやはり机があった方がありがたいんですけどね〜^^;;;
それで「江戸の教育文化」なんですな〜
長すぎるけど、面白おかしい(?)内容だから、身に付きそうな教科書ではあるような・・・(ぷぷっ!)
下郷本が出始めた頃は、武断政治の影響で、藩が減封&改易などで路頭に迷った牢人があふれていた時期ですよね〜
そう言う牢人達が「直江状」を面白おかしく(?)作ったとか・・・(ぷぷぷっ!)
県立歴史博物館の会場も、やはり椅子オンリーですか?
人を一杯入れるとしたら、机つきというのは難しいでしょうが、メモをとるのにはやはり机があった方がありがたいんですけどね〜^^;;;
■びびんばさん by カタリーナ
今回はタイトルから話の中身が今ひとつ想像できなかったんですが、
始まってみるとなるほどという非常に面白い内容でした。
>牢人達が「直江状」を面白おかしく(?)作った
ありえそうですよね〜。
かつての世を懐かしんで生まれた軍記物もたくさんあったわけですし。
創作となると、あれだけの内容が書けるんですから、
徳川か上杉か、あるいは承兌に近い人によることになりますよねえ。
歴搏は会場が講堂で、袖から机を出すタイプのシートですので、
メモも取りやすくて快適かと思います♪
始まってみるとなるほどという非常に面白い内容でした。
>牢人達が「直江状」を面白おかしく(?)作った
ありえそうですよね〜。
かつての世を懐かしんで生まれた軍記物もたくさんあったわけですし。
創作となると、あれだけの内容が書けるんですから、
徳川か上杉か、あるいは承兌に近い人によることになりますよねえ。
歴搏は会場が講堂で、袖から机を出すタイプのシートですので、
メモも取りやすくて快適かと思います♪



おそろの田比のスリッパとか、一緒に大河の講演に行かれたりと、おふたりのブログを一緒に読むと、相乗効果で何倍も楽しめます
私は残念ながら、ウジラー(氏康)だからな(笑)。景勝も勿論、大好きですが。ではでは〜






ところで、武田家は、「天地人」に向けても素ッ破を差し向けておりますが、
情報が!
友人が着物好きで、お見立て甲斐いえ、お見立て会に行ったら、
「天地人」の衣裳監修の手伝いをされている方がお見立ての先生となられていて、
いち早く、「天地人」に使用される生地を見たそうです。
撮影は始まっているし、ブッキーの着物姿,もう写真や映像で見てるし、
何を今更・・・と思いましたね??
生地、地模様に「愛愛愛愛愛愛愛・・・」となっていたそうです(汗)
わはははは!聞いた瞬間にあやうく、飲んでいたコーヒーを吹きこぼしかけましたよ!
来年、ハイビジョンでガン見しようっと(爆笑)