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どうしてもそう見えるんです。 

2008年10月02日 ()
こんなものを上杉氏ゆかりの地にカテゴライズするのもどうかと思うんですが、
これを町で見かけるたびに、上杉謙信を思い出してしまいます。

新潟県信用組合


新潟県信用組合の看板ですが……。
上の白い部分が、どうしても行人包に見えるんです!
松平の野望〜天下創世記〜の元康さんのリクエストによりUPしてみました。
何でもこじつけたくなる歴史スキーの遊び心ということで。(苦笑
[2008.10.02(Thu) 20:07] 上杉氏(ゆかりの地/旅)Trackback(0) | Comments(8) 見る▼
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この馬印・・・ by リューザキ弾正
↑善光寺に赴いた折り、ないかと探しました(^^;)

いよいよ、渋谷の陣も本格的になってきたようですね♪
近々、参陣予定です(^^)

汚職事件と聞くと「お食事券」と脳内変換してしまいますが、
最近、「容疑者Xの謙信」が繰り返し聞こえてきます・・・
実に面白い(by湯川准教授)

秋田に・・・・ by びびんば
ないと思ったら、ありました!@けんしん
どうでもいいですけど
http://www.akita-kenshin.jp/
↑HPもありました^^;;;

私の生活圏外にあるから、見つけられなかっただけでしたわ〜^^;;;
今度秋田の行人包みを見に行ってみようと思います(笑)

でも・・・・
新潟の「けんしん」の方が、説得力がありますけどね〜^^;;;

おぉ!! by 元康
これが本場の「けんしん」なのですね!!
わざわざの撮影&記事にUP、恐れ入り奉りまするm(_ _ )m

何故この人はこんな看板を写メで・・・?
と思われなかったでしょうか!?(爆)

しかし、やはり本場の「けんしん」には威厳を感じる
というか、
何となく格の違いを感じます^^

■リューザキ弾正どの by カタリーナ
渋谷の本陣も快調なようですが、どうやらまたロケに出るらしいですね。
はあああああ、早く景勝公が見たい!
渋谷本陣に参られた折には、ぜひとも飛脚を遣わしていただきたく……。

>「容疑者Xの謙信」
景勝君のパパを暗殺したのは、やはり容疑者Xこと謙信だった、ということでしょうか?(爆
私も「検診に行く」という言葉を聞くと、
「謙信に行く」と勝手に変換されてしまいます。(苦笑

■びびんばさん by カタリーナ
けんしんは、県には必ずあるんじゃないでしょうか?
秋田はカラーが緑のようですが、看板はどんな感じなんでしょうね。
いつか見かけたときには秋田の「けんしん」もぜひご披露ください〜。

■元康さん by カタリーナ
「けんしん」に反応しているのは自分くらいだろうと思っていましたので(爆)、
元康さんの記事を拝見したときには「仲間〜(笑)」って思ってました。
写真は、実は信号停止のときに車中から撮りましたので、怪しまれてないと思います。
後続車のドライバーさんには、妙な動きをしてるなあと思われたかもしれませんが。(苦笑
こうなったら、全国の「けんしん」を見てみたいところです。

楽しい同音異義語・・・ by ユナ
 おもしろいですねv-237そうか、そんな風に聞こえるんですね。主題は違いますがかつて似たような経験のある私(苦笑)全国の「けんしん」も興味ありますよね。

■ユナさん by カタリーナ
日本語は同音異義語が一杯あって混乱しますよね。
あとはひとつの文字でもいろいろ読み方があったりしますし。
それはそれでくだらないお楽しみも増えるんですが。(苦笑
最近では、最上級を「もがみきゅう」と読んでしまったのがヒット(?)でした。
実生活がどんどん戦国に占領されていっています。(苦笑

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線路は続くよどこまでも 

2008年06月05日 ()
実はこの記事は3日に上げる予定だったんですが、
大河の配役発表が来るとの情報があったので、UPするのを控えておりました。
ということで、米沢紀行最終回です。


上杉博物館で上杉家の歴史を辿ったあと、ミュージアムショップを覗いてみました。
そんな中で一番興味を引いたのが、宮島誠一郎氏の「戊辰日記」でした。
宮島誠一郎氏は幕末米沢藩の外交担当として京で活動しており、
鳥羽伏見の戦いが始まって以降、在京中のことを日記に記していました。
それを「戊辰日記」としてまとめ、米沢市史編集資料28号として翻刻、出版されています。
奥羽越列藩同盟側からの一記録として、読むべきものがありそうだと思ったのですが、
その、懐具合が……。(苦笑
今回は上杉景勝、直江兼続の図録2冊と、上杉家文書の図説を買う予定で、
さらにこの「戊辰日記」2,500円也を購入する余裕はありませんでした……。
おまけに図録3冊だけですでに荷物が重いです。(汗

zuroku.jpg

因みにこれら3冊の図録、まだざっとしか目を通しておりません。
そういえば景勝公の遺言は掲載されていなかったなあ。
あれ、どこで見たんだろう……?

上杉博物館を出ると、次は上杉伯爵邸へ。

上杉伯爵邸

明治29年建築当時は、敷地約5,000坪、建坪530坪という大邸宅だったそうですが、
大正8年に焼失し、現在のものは大正14年に再建されたもの。
それでも壁の長さが、屋敷の広さを物語っていました。

伯爵邸・玄関

上杉伯爵邸は、現在お食事処になっていて、米沢の郷土料理を頂くことができます。
しかし時刻はすでに4時半を回っており、お食事という時間ではありません。
…………と、なんと茶房があるではないですか!
ということで、中でお抹茶と上生菓子を頂くことにしました!

受付で注文し、いざ大広間に入ろうとしたとき目に飛び込んできたのが、

米沢の四傑

という文字。

上杉謙信公、上杉鷹山公、直江兼続公、伊達政宗公

そこにはこの4名が掲げられており、まあ予想通り景勝公は含まれていなかったのですが、
わかっていても悲しくなってしまうのがカゲカツィストなのでして……。
っていうかね、米沢に来てからずーーっと感じてたんですけど、
謙信公と兼続公をクローズアップしすぎです!!!
いくら来年の大河が兼続主役とはいえ、いくら兼続が街作りに貢献したとはいえ、
ここは上杉の城下町であって、直江兼続の町ではないと思うのですが。(苦笑
それとも、兼続が米沢城主だったころのことから引っ張ってきてるのかしら。
でもまあこれも、来年末までのこと……だとは思っていますけれども、
それにしてもちょっとね、あまりにもその扱いがすごすぎて……。

お抹茶

何か写真が黄昏色になってますけど、これは電灯のせいだと思います。(苦笑
お庭を眺めて伯爵邸の大広間でのんびりしていたら、
斜め向かいの席から、しきりと「直江兼続は」という言葉が聞こえてきました。
それは観光で山形県内のどこかからいらしたご家族のようだったのですが。

父「直江兼続はさ、上杉謙信と、それから上杉鷹山に仕えたわけだよ」
母「でも鷹山ってずっと後の時代の人じゃないの?」
父「違うよ、謙信で上杉家が没落してさ、それを鷹山が立て直しただろ?」
母「うん」
父「それを補佐してたのが兼続なんだよ、ホラ、うこぎもそうだしさ」

ちょっとちょっと、それ、違いますから!!!
これってやっぱり、謙信公が米沢藩の藩祖とされていることによる誤解じゃないですか?
確かに鷹山公は、景勝公以来の財政逼迫に喘いでいた米沢藩の中興の祖として、
今も広く世界にその名前を残しておられる方ではありますが、
謙信公と鷹山公では200年以上の年月の差があるわけで、そのどちらにも仕えるなんてことは、
いくらスーパーマン評価されている直江兼続公でもムリ。(苦笑
それにまず、謙信公が米沢に来たのは亡くなってからです!
そう、お母さん、アナタが正しい!!!
私は今にも立ち上がってお父上とお話したいところではありましたが、
そんなことができるわけもないので、じっと我慢しておりました。(苦笑
でも最後にお祖母様が、
「今度は新潟のほうに行ってみたいねえ」
と仰ってくださったのが嬉しかった!
きっとお祖母様は、上杉家がお好きでいらっしゃるのでしょうね。
縁の品はあまりありませんが、城跡ならいっぱいあります!
当時と変わらぬ自然もあります!
うぇるかむ とぅー にいがた〜〜〜♪


上杉伯爵邸・釘隠し

上杉伯爵邸大広間の釘隠し。
ちゃんと上杉家の家紋になっていました!
今思えば、伯爵邸の中って見学させていただけたのでしょうか?
日本家屋の素晴らしさは、広間だけでなく廊下と庭にもあると思うので、
可能なら歩かせていただけばよかったー。

初めて米沢にやってきて感じたのは、想像以上に小さな街だということです。
四方を山に囲まれ、商業の拠点となるような港もなく、これといった産業もないところへ、
6,000人とも言われる家臣団を連れて入部してきた上杉家の人々の苦労は、
簡単に想像できる程度のものではなかったろうと思います。
刀や槍を鍬や鋤に持ち替えて、生きていくための戦いが始まる……。
それは、戦国を生きる戦いにも勝るとも劣らない、非常に厳しいものだったでしょう。
そんな上杉家の支配を、米沢の民たちはどう見ていたのでしょうか。
市井の人々の視線にも興味が出てきました。

米沢駅

18時25分発のべにばな1号で、新潟に帰ります。
私の上杉を回る線路はまだまだどこまでも続きます。
次は上越、春日山へ行かなくては!!!

ということで、たった6時間弱の米沢滞在記を6回に渡ってお読みくださり、
本当にありがとうございました。
これより通常記事に戻りますが、洛中洛外図雲井龍雄「討薩檄」については、
後日別記事にて熱く語る予定です♪
[2008.06.05(Thu) 00:01] 上杉氏(ゆかりの地/旅)Trackback(0) | Comments(9) 見る▼
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たぶん by 木暮兼人
来年の大河まで、気づかないでしょうね>そのお父様(笑)
いや、来年の大河の最終回で間違いに気づくとか・・・

史実を知ってると、直江さんがそんなに
長生きしてるわけでないと気づくんですが、ねえ

そういえば上杉鷹山のドラマって
かつてNHKで放映されていましたよね?

いろんな by びびんば
カタリストな男性(中年以上)の語りを旅先で耳にしてきましたが
知ったかぶりな語りで、真実の話に出会ったことはございません(毒)
そのお父さんもまた然りですなあ〜(汗)

その話、本当だったら・・・・・兼続は「フランチェン」なのでしょうか?(爆)

「いでよ〜!兼続〜!」(←景勝君の声で)
「ええお〜(いいよ〜)!」

・・・・・私、どれだけ好きに毒を吐いているんだろう・・・・(カクッ)

私、二度も上杉伯爵亭に言っているくせに、中に入った試しがございません^^;;;
一回目は、日暮れに到着したため
二回目は・・・・・・(以下省略)

旅行記、お疲れさまでした〜^^
本当、米沢って小さいから、上杉軍団をぎゅうぎゅう詰め状態だったというのも頷けましたね〜^^

いでよ! by 木暮兼人
>>びびんばさん
それは鉄人28号でしょうか(笑)

思い込みほど、アテにならないという話。

それにしても米沢の駅は風情があります
今はどこもかしこも駅が綺麗になってしまって
ああいう駅に郷愁を誘われます。

■木暮兼人さん by カタリーナ
あわせてレスさせていただきますね。
上杉鷹山、容保公じゃない、筒井くんがやってましたよね。
米沢の駅でびっくりしたのは、ホームが2分割されていたことですね。
1つのホームが前後に分かれていて、
前半分が1番線、後ろ半分が4番線で、私、迷子になりました。(苦笑
途中のローカル線では、本当に小屋だけというような駅もありましたが、
近代的なスタイリッシュな駅が増える中で、
ああいった農道の脇にポツンとあるような無人駅に、私も郷愁を感じます。

■びびんばさん by カタリーナ
>知ったかぶりな語りで、真実の話に出会ったことはございません(毒)
あららら。そういうもんですかね。(苦笑

>「いでよ〜!兼続〜!」(←景勝君の声で)
>「ええお〜(いいよ〜)!」
いやだー、そんなの!(爆
でも想像してしまいましたよ。
それだと上杉家がお笑い集団になってしまう……。(苦笑

びびんばさん、今年中にもう一度米沢行かれるんですよね?
是非そのときは伯爵邸に入ってきてください。
私も今度こそ、洛中洛外のホンモノ見に行きます!

耳がダンボンボ! by ゆの
どもですぅ〜!(^^)
直江兼続公と伊達政宗公の名前を見て
お耳がダンボになっちゃいました!!

しかし、そのお父様・・・
小一時間説教たれてやりたいでございまする(爆)

そして、素敵な図録の感想も
いつかお聞かせくださいましっ☆

■ゆのさん by カタリーナ
政宗公はここ出身ですからねえ。
しかし四傑といわれても、政宗は生まれ育っただけとも(以下自粛)……。(苦笑

それはさておき、お父上は力説しておられましたので、
来年大河をご覧になって、「あ、俺間違ってた……」と、
頭を抱えられるかもしれませんねー。
お母上が「だからあのとき時代が違うって言ったじゃないの」などなど、
家族の会話が目に見えるようでございます。(笑

図録は、まだ眺めて喜んでるだけです。(爆

眺めて読む by ゆの
充分です。
あたしも同じですから(爆)

伊達政宗公は何だかオシャレな感じで
あたしは大好きなんですが、何となく常識のある
信長様に思えてなりません(^^;)
なので、尊敬っているよりは恋な感じで
政宗公の名をきくと反応してしまいます・・・

■ゆのさん by カタリーナ
政宗公もお好きなのですね。
語源はともかくも「伊達者」とか「伊達や酔狂」「伊達メガネ」なんていうように、
その名字が使われるくらいですから、事実お洒落だったのだと思いますよ。
政宗の陣羽織とかは、派手で斬新って言われてますものね。

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特別展・上杉伯爵家の明治 

2008年06月02日 ()
稽照殿で戦国時代の上杉家を堪能したあと、足早に上杉博物館へ向かいました。

あ!!!

そういえば上杉神社の境内には、謙信公の祠堂跡があるんだった!
越後で亡くなった謙信公は、甲冑を着せられて、漆を満たした甕に収められたと伝わっております。
そしてそれは上杉家の会津→米沢への移封に伴い、
米沢城の南東の方角に安置されたとのこと。

米沢城址


写真左手奥の辺りはちょっとした丘になっていて、そこに祠堂跡があります。
東南という方角も大切だったのでしょうが、ここからは米沢の町が一望でき、
謙信公は上杉家のみならず、米沢の守り神のように祀られていたのだろうと思いました。
ここはまさしく聖域と呼ぶべき場所だったのではないでしょうか。

上杉博物館では、「特別展・上杉伯爵家の明治」を開催中。
無理してこの時期に米沢まで来たのは、この特別展を見るためでした。
前期は上杉本・洛中洛外図屏風の原本が展示されていたのですが、それには間に合わず。(涙

hakushaku-meiji.jpg


常設展のほうでは簡単に上杉家の歴史が見れるようになっていて、
以前びびんばさんから教えて頂いた文書折りの体験や、鉄砲撃ち体験などがあり、
洛中洛外図を紹介した解説映像なんかもあるんですが、ここでもまた例の研修生軍団と一緒に!
私が一人黙々と文書折りをしていたところ(これが思うように折れないんです)、
それを見つけた研修生が一人、また一人と寄ってきて、いつしか作業台が満員に。
同じところを回っているので仕方ないんですけど、どこへ行っても落ち着いて見れない……。(悲
特別展が開催されているときは文華館(上杉家文書等が展示される)はお休みということで、
ここでは特に景勝公関連のものを見ることはできないとわかったため(苦笑)、
早々に特別展のほうへ場所を移しました!

特別展「上杉伯爵家の明治」は、プロローグ、エピローグを含めて7章から成っていました。

プロローグ「米沢藩上杉家」
謙信公、景勝公、鷹山公、そして直江兼続公の肖像画が展示されており、米沢藩の基礎を確認。
軸に表装されているのですが、意外と小さい肖像画でした。

第一章「米沢藩の崩壊」
幕末、戊辰戦争に関わるものが展示されています。
会津の松平容保公を討つために、米沢藩も仙台藩に協力しろという命令が書かれた、
会津容保追討沙汰書や、奥羽列藩同盟盟約書
そして古今の檄文の中でも白眉と言われている雲井龍雄の「討薩檄草稿」などがあり、
緊迫した時代を伝えてきます。

第二章「明治の幕開け」
米沢藩も新政府軍に降伏し、文明開化の明治がやってきます。
雲井龍雄(小島龍三郎)を集議院議員に任じた集議院達書や、
第13代藩主上杉茂憲(もちのり)公に伯爵位を授けた爵記や、
当時としては慣れないことだったろうと思われる洋装の大礼服などが見られ、
江戸とは明らかに違う、新しい時代の息吹を感じさせました。
爵位って色分けされてたんですね。
上から公・侯・・伯・子・男の五爵にランク付けされ、
それぞれ浅黄の色で表されていたんだとか。
上杉家は伯爵ですので、爵記も枠縁が桃色でした。

第三章「明治天皇の行幸」
明治天皇が地方巡幸で米沢を訪れた際、天覧に供した宝物の数々が置かれていました。
ここに、上杉本洛中洛外図屏風(複製)も展示されておりました。
謙信公所用と伝わる琵琶「朝嵐」や、
明治天皇に献じた太刀のお礼に拝領した唐草毛彫菊紋銀杯
またそのときの部屋の様子を写真に写した明治天皇行幸米沢行在所など、
いよいよ天皇を中心とした「日本」という一つの国に変わっていくことを窺わせます。

第四章「沖縄県令上杉茂憲」
第五章「上杉家の地域貢献」

ここからは写真も多くなり、当時の上杉家の人々を目にすることが出来るようになります。
廃藩置県に伴い、旧藩主は東京への移住を命じられ、
そこから新たに旧藩とは縁のない地方へ「県令」として派遣されることになりますが、
上杉家最後の藩主であった上杉茂憲公は、沖縄県令に任じられました。
そこでしたためられた上杉県令沖縄本島巡回日誌や、子供たちと一緒に撮影した古写真
米沢に戻ってからは蚕業学校の創立にその費用を寄付し、そのとき受けた褒状もあり、
戦国、江戸期とは全く違う行政のあり方を垣間見ることできました。

エピローグ「上杉伯爵家のその後」
現当主上杉邦憲氏の赤ちゃん時代をとらえた上杉憲章/隆憲家族写真が印象的でした。

こうして一つの家に視点を据えて時代の流れを見ていくと、物事は局地的にはなりますが、
それがかえって歴史の流れを把握しやすくするものなんですね。
上杉家は江戸期を通じて財政難で、宝物も文書も整理する余裕すらなかったと、
2月に訪れた新潟県立歴史博物館の学芸員の方が仰っていましたが、
本当に上杉家は物持ちがいいというか、よくぞここまでちゃんとした状態で、
これらの貴重な史料を保存していたものだと感心します。
特に謙信公、景勝公辺りのものをきちんと保管していたということを思い、
主だった藩主の方々をざっとですが目を通してみると、
上杉家というのはその血筋を守る、保つということよりも、
謙信以来の上杉家の家風とか、家訓みたいなものを守るほうが大切だったのではないか、
それを守り伝え、実行することこそが、当主の務めだったんじゃないかと感じました。
私は謙信公が時々米沢藩の藩祖とか初代(これ明らかに違うし)とかって書かれることに、
実は非常に違和感があったんですが、このことに思い至った今、
米沢藩が上杉家に代表される以上、
謙信公はやはり藩祖で初代でとせざるをえないのかもしれないと考えが変わりました。

ふー、たった5時間くらいの出来事なのに、5日書いても終わらねえ。(汗
でも、明日で一応紀行は終わります!!!
(つまり、紀行以外はまだあるということ・苦笑)
[2008.06.02(Mon) 00:30] 上杉氏(ゆかりの地/旅)Trackback(0) | Comments(4) 見る▼
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私も・・・・ by びびんば
「藩祖」ではあるわなあ・・・と思うようになってきました^^;;
何年経っても、謙信は「上杉家の精神的支柱」ですからね〜
私は上杉家中を称して「謙信教徒」と呼んでおります(爆)
宗教と言うほど宗教でもなく、先祖崇拝と言うほど先祖崇拝でもない・・・やはり「謙信教」・・・・
死してなお上杉家を守ったと言っても過言ではないですからねえ〜^^

ところで、さすがに的確な説明をされますねえ〜
この間のことが鮮明に思い出されました^^;;;
私の旅行記とは大違いだ!!(爆)

■びびんばさん by カタリーナ
>「謙信教徒」
言いえて妙ですね。(笑
確かに、「謙信公が見ていてくださる」と思えばこそ、
どんなに辛いことも、上杉の誇りを持って乗り越えることができたんじゃないかとは思いますね。
ただ藩祖っていうのはどうなんでしょうねえ。
上杉家の祖としてなら異論ないんですが、米沢藩の藩祖となると、
それはちょっとどうなのかなあと、やっぱりまだ違和感が。(苦笑

なんだかお褒め頂いて恐縮です……。
的確というより、なんの捻りもないそのままの感想なんですけど。(汗
私もびびんばさんの旅行記のように、まるで一緒に旅してるような面白いのが書けたらなあ。

by Aki_1031
第二章に興味津々です(笑)。
雲井さんの筆跡はいかがでしたか?
ダイナミックだったのかしら、それとも繊細な感じだったのかしら。
…すみません、上杉家よりも幕末米沢藩が気になる
幕末スキーです(苦笑)。

血筋よりも家訓の継承に重きがあった…といわれると、
なんだかストンと落ち着きますね。
それだけ謙信公の信念とカリスマ性が強烈だったと
いうことなんでしょうけれど。
でもそれがご子孫により連綿と受け継がれているのが
我ら現代人にとっても嬉しいですよね。
丁寧に保存していてくれてありがとーー♪という感じですvv

■Akiさん by カタリーナ
私もこの展覧会は第一章&二章が狙いでしたから、たくさんの展示物に大満足でした。
雲井龍雄氏の筆跡は、繊細……の部類になるのかな。
草稿にもかかわらず、非常に几帳面に書かれていた印象があります。
大名家は特に、養子で家を繋いできたと思うんですが、
その点上杉家は、「血」だけでなくやはり謙信以来の家風をいかに受け継ぐかというのが、
当主には求められていたんじゃないかと思います。
またその家風があったからこそ、上杉家というのは明治まで存続できたのかもしれないと思いました。

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百聞は一見にしかず! 

2008年06月01日 ()
いつまで米沢ネタを引っ張るんだ!という感じですが、まだしばらく続きます。(汗

松岬神社、上杉神社と参拝した私は、いよいよ稽照殿に足を踏み入れました!
受付は……多分巫女さんでしたでしょうか?

稽照殿チケット

ここでは当然写真撮影はできないので、私の拙い解説でお届けします。(苦笑
稽照殿には、上杉謙信、景勝、直江兼続、そして上杉鷹山の遺品等が展示されています。
入ってすぐに目の前に現れたのが、謙信のものと伝わる革製金箔置烏帽子形兜
見事な金色の変わり兜ですが、 左折れが大将格、右折れが平士を表しているんだとか。
頭周りが結構小さいかな……としばし観察していたら、またもや例の旅行社の研修生が!!!
圧倒的に女性が多いので、館内が厳かなムードから一気にウフフムード(何ソレ?)に……。

初めて目にする本物の「毘」と「龍」の旗は、想像していたよりも遥かにに大きいものでした。
広い戦場で、遠くから見えなくちゃいけないんですから当然なんですが、
やっぱり図録からじゃあ実物の大きさは把握しきれないわけで、こうして実際に目にしてみて、
この旗の存在の大きさというものが初めて理解できたような気がしました。
「毘」や「龍」に限らず、自軍の旗というものは味方の目印であると同時に、
心もとない兵士たちにとって支えの一つでもあったのではないでしょうか。
旗はもちろん色褪せていますが、
これがボールドで洗ったみたいに真っ白だったらガッカリだなあ(苦笑)と、
最近多い複製品の展示のことが、ちらっと頭をよぎったのですが、
……って、あれ? 昔はこういう軍旗って洗濯してたんでしょうか?
城に戻ってくると、女たちが洗ったりしてたのかな?
そんな風に、「毘」と「龍」の旗の下で戦う兵士のような気分を味わっていたとき。

「ね、見て。だってー!」
「やっだー、マジー?」

即行で会話の方向へ首を向けてしまいました!(苦笑
先ほど入ってきた研修生のうちの2人が、兼続公の「愛」の兜の前でヒソヒソ話しています。
もしかして彼らは旅行社の社員ではなかったのでしょうか?
だって、今この時期に米沢に研修に来る旅行社の社員が、
直江兼続の「愛の前立て」兜を知らないのはちょっとマズくないかい?
断片的な会話から旅行社だと判断した私の、思い込みだったようです。
きっと、全然旅行とは関係のない会社だったに違いない。そうに違いない。
で、私も早くその鎧兜を、というか景勝公のお盆の鎧兜(爆)が見たくてたまらなかったんですが、
その研修生2人が次々に仲間を呼ぶので、鎧兜の前にちょっとした人だかりが。(汗
人数は多くないんですが、それほど展示スペースが広いわけではないので、
陣取られてしまうと見にくいんです。
ここまで来たからには心静かに眺めたいので、
「あっち行け〜〜〜〜、あっち行け〜〜〜」
と、必死に念を送って隣室へ追いやり(苦笑)、ようやく鎧兜の前に立つことができました!
景勝公の紫糸縅伊予札五枚胴具足(前立ては日輪)と、兼続公の「愛の前立て」付き鎧を、
じっくりと観察させていただいたのですが……。
いくら修繕が施されているであろうとはいえ、状態がとてもいいんです。
紋も鮮明で、綴っている糸もしっかりしているし、今着用することも可能に見えます。
そしてサイズなんですが、大柄だったといわれる兼続公の鎧、
私の目には景勝公のものと比べて、そう大きく違わないように見受けられました。
景勝公のほうが胴回りがちょっと小さいかなとは思いましたが、
殊更小さいようには感じなかったのです。

ですが。

奇抜な前立てとして何かと話題の「愛」なんですが、正直に言って、
「愛」よりも、隣りの景勝公のお盆のやつ(爆)のほうがずっと目立つと思いました!!!
お盆は正確には、大日輪に摩利支天・金剛・毘沙門天の三軍神を彫ったものなんですが、
この大日輪がお盆状態で金ぴかなので、遠目にも目立つんです。
日中これに日光が当たったら、反射でものすごく光って眩しいんじゃ?
眩しくって敵も斬り込めない……あ、すいません、バカなこと考えました。(苦笑
いえ、それくらいインパクト大だったんですよ、私としては。

それからもう一つ。
謙信公の水色が目にも鮮やかな馬上杯も見ることができましたが、
こちらは思っていたよりもずっと小ぶりでした。
私的には、カフェオレボウルくらいの大きさがあるようなイメージがあったんですが、
片手でちょっと持つのに適した、普通のサイズの杯でした。
私、どんだけ謙信公を大酒アップロードファイル呑みだと思ってたんだろう。(爆

他にも多くの貴重な遺品が展示されていて、謙信公が将軍から許された毛氈鞍覆だとか、
謙信公が景勝公に送ったとされるイロハ手本だとか、衣装だとか、
これまで写真でしか見ることのなかった品々を実際に目の前にしてみて、
歴史上の人物でしかなかった上杉家の人々が近く感じられたのと同時に、
やはり自分とはかけ離れた、遠い時代の遠い世界に生きた人たちだったのだとも思いました。
なんかね、親しげに「景勝さま」なんて呼んではいけないような気になったんですよね。
だから最近ブログの上では、ちゃんと「景勝公」と書くようにしたんですけれど。

百聞は一見にしかず。
それを痛感した稽照殿を出て、いよいよ上杉博物館です!

カメさん

参道脇の池で、大好きなカメさんにバッタリ!
[2008.06.01(Sun) 02:45] 上杉氏(ゆかりの地/旅)Trackback(0) | Comments(4) 見る▼
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お盆 by びびんば
景勝公は御大将だから、軍の一番後方にいても分かるように、お盆(←もうお盆決定@爆破)にしたのでは・・・と思って見ていました^^;;
特に、朝日に照らされたら、まさに日輪の如くキラキラ光っていたことでしょうねえ〜(うっとり)

私の時は、2人ばかり「愛の前立て」前に陣取っていましたので、その間、私めがお盆の前を独占しておりました〜(うは〜!)

あと・・・・景勝公のちと幼い頃のお着物の前にも・・・(笑)
普通は、その後の毛氈鞍覆に萌えて、長いこと陣取るんでしょうけれどもね〜(笑)

その時の私は、景勝公に対する待遇の悪さに腹を立てていたので、景勝公しか視界に入っていなかったせいもありますなあ〜(爆)

その続きをお待ちしております・・・・私的には引っ張って貰った方うれしいっす!(笑)

■びびんばさん by カタリーナ
ああっ、小さいときのお着物は私も釘付けでした。
実はその後ろの毛氈鞍覆に気づいたのは、
反対側の鷹山公の品々を拝見しているときでした。
どれだけ景勝公以外のものに目が行ってないんだって話しです。(苦笑
景勝公のお盆の前立て(笑)のついでなんですけど、
兼続の前立てで、バット2本とボールのやつ(爆)ありますよね。
あれって、日輪と何をかたどったものでしたっけ?
バットとボールじゃ検索しようもなくて。(苦笑

あれ・・・・・ by びびんば
私は月と流れ星だと「勝手に」思っていたんですが・・・・
解説があったとしたら、全く覚えておりません(と言うか、読んでいない可能性が・・・・@爆)
検索すると、「愛の前立て」しか出てこないですものね〜
あと、「バットとボールしか見えない」という評価とか・・・・^^;;;

「直江兼続」の図録には載っているんですが、解説は鎧オンリー!TT
上杉博物館に聞いてみますか〜^^;;
(↑メールを送ってみました@爆)

■びびんばさん by カタリーナ
月と流れ星だなんて、なんてロマンチックな!
私はずーっとバットとボールだと思っていて、
今回初めて「日輪と○○」っていう解説を読んで、そうだったのか!と思ったんですが、
その○○がなんだったのか、忘れてしまったんです〜。(苦笑
しかし、まさか兼続も日輪を選んでいるとは思いもしませんでした。
お盆だの愛だのバットとボールだの、こう言ってしまうと奇抜な前立てばっかりですね。(爆
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あゝ兼続&上杉神社 

2008年05月29日 ()
ニュースを辿っていたら、1週間前のネタに遭遇。

戦国時代の武将で、来年放映されるNHK大河ドラマの主人公・直江兼続を歌ったCD
「天地人あゝ兼続」が、ゆかりの地・旧与板町(現長岡市)の有志らによって制作され、
じわじわと人気を集めている。                    (読売新聞)



ウォー (丿 ̄ο ̄)丿
こういうのって、何となくこっぱずかしい……。(苦笑

読売の記事によれば、市民の方の作詞作曲で、
「愛の前立 陽に映えて いま駆け下る 春日山……」
という歌詞で始まるそうです。
歌は「兼続合唱団」。
ちょっとツッコミたい、この命名。(苦笑
1000枚作って、すでに800枚売れたそうです。
もしかしたら、これから始まる天地人リレー講演会の会場で流れたりして!?
恥ずかしいけど、実は聴く気満々。(笑
調べたら、「あゝ井伊直弼」っていう歌もあったよ!
この際、「あゝ上杉景勝」でも作ろうかな〜〜〜。(爆

**********************


それはさておき。
米沢は上杉城史苑で昼食をとった私は、米沢城址へと向かいました。
まずはお堀の外にある松岬神社に参拝。
ここは、景勝公、鷹山公、直江兼続、他、米沢の恩人とされる方々を祭神としています。
お賽銭を入れようと財布を開いたところで、

「しまった! 小銭がない!」

ということに気がつきましたー。(汗
神社仏閣を巡るときは、小銭がいっぱいいることを忘れていました!
さっきランチの支払いをしたとき、小銭で払うんじゃなかったーーー><
今お財布の中のに、100円玉が1枚と、50円玉が1枚しかない。
いくらなんでも1円は問題外……。
ということで、ここ松岬神社では100円を入れさせていただきました
それはモチロン、景勝公がご祭神とされているから!(苦笑
それにしても去年の今頃は、こんなことになるなんて想像もしていませんでした。
ひょんなことから縁て生まれるんだなあと、そんな巡りあわせに感謝。
しかし、観光客はそれなりにいるのですが、誰もこの神社には参拝していかない……。
謙信じゃないから? 何か寂しいんですけど!

松岬神社を出てお堀を渡りますと、そこはいよいよ米沢城本丸跡でございます。
ここで初めて、「とうとう来た!」と思いました。
文献や小説の中でしか感じえなかった米沢の城の存在を、今、肌で感じています。

上杉神社

写真は、よくある構図でどうぞ。(苦笑
この日はほぼ無風に近かったため、いくら待っても「」と「」の旗が上手い向きになってくれず。
諦めて、本丸跡に建つ上杉神社に向かいました。
しかしここへ来て、旅行会社の研修とぶつかってしまいました。
真新しいスーツ姿の若者がよくわからないといった感じでウロウロしております!
「どけどけどけどけ〜〜〜〜っ!」
早馬伝令の如くスーツの軍勢をかきわけて、ようやく神社にたどり着いたのですが、
今度はお祓い受けるご家族が中に待機しておられ……。
もう少しゆっくり静かに参拝したいところですが、写真も諦めて早々に立ち退きました。(涙
なのでこれを。

上杉神社・参拝のしおり

このしおりで個人的にツボだったのは、家紋が戦国期のものだったことですね。
これだとすっきりしているので、阿行吽行になってる雀もちゃんと確認できます。
今普通に上杉家の家紋として紹介されているものは、江戸期以降のものじゃなかったでしたっけ?
ね、びびんばさん?
この家紋は、景勝公の鎧にもついてます。(豊臣家の五七の桐も一緒についてるケド)
お賽銭として残りの50円を入れ、ご祭神・謙信公に今日の縁を感謝申し上げ、
その鎧を見るべく、上杉神社に併設されている宝物殿「稽照殿」へ向かいました!

実はここへ来るまでに、鷹山公とか米沢牛の恩人とか伊達政宗とか、
いろいろあったんですけど、全部スルーです。(爆
あと、説明書きも斜め読みです。
だって時間がないんだもん!!!
つづく。
[2008.05.29(Thu) 21:21] 上杉氏(ゆかりの地/旅)Trackback(0) | Comments(6) 見る▼
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すげー! by びびんば
「兼続合唱団」って・・・・愛の前立てと同じくらいのインパクト大ですね〜^^;;;;
「あゝ上杉景勝」って言うのが出来たら・・・歌詞がなそう・・・(伴奏だけ@爆笑)

おお!カタリーナさんも、お賽銭100円ですか〜^^
カゲカツィストは、松岬神社でお賽銭100円以上!と言うことを通達しますか!?(笑)
では、新潟競馬場で降りた、ツルツルさんにも伝えておかなければ・・・(笑)

家紋の件は、上杉博物館の図録「上杉景勝」にも載っていましたねえ〜^^
今の家紋より、戦国期の家紋の方が好きですわ〜^^

稽照殿のご感想を楽しみにしております^^v

■びびんばさん by カタリーナ
もしかしたら与板会場の講演会で、実際に歌うかもしれないですよ?<兼続合唱団
そうしたら、こっちがメインイベントになりそうなくらいインパクトありますねえ。
「あゝ上杉景勝」は……そうだ、直江君に書いてもらえばよいのです!
そうしたら16番くらいまであるんでしょうね〜。(爆
家紋のこと、図録に載ってました? 
やー、まだちゃんと読んでないので見落としてたみたいです。
ありがとうございます。あとで確認します!

家紋 by びびんば
あ、でも・・・・・
あの鎧甲冑姿の、近眼っぽい目の「景勝像」の解説に、ちょろっと載っていた程度の説明です^^;;;;;

「あゝ上杉景勝」は、作詞、作曲:直江兼続、歌唱:直江兼続・・・・
それしか手はないですねえ・・・・(笑)

「さあ〜!内府〜!かかってきなさい〜
上杉は、お前に〜たちむか〜〜〜〜〜う!」

みたいな・・・・(はあ・・・)

■びびんばさん by カタリーナ
直江君は歌も上手そうですね。(笑
でも案外、マイク握ったら離さないタイプかも?

歌は、そうですね、例えばガッチャマンの替え歌でどうでしょう?
ガッチャマンを景勝に、地球を上杉に変えたらバッチリ?(爆

ガッチャマンといえば・・・ by びびんば
替え歌の方が真っ先に頭の中に浮かんでしまいます

「う・え・す・ぎ、一つ!割れれば二つ!」

演技でもない!!!(爆破)

「命をかけて飛び込めば、直江忍法毒舌だ!

 飛べ!飛べ飛べかげかつ〜 行け!行け行け!かげかつ〜」

・・・・・すみません・・・・m(_ _)m

■びびんばさん by カタリーナ
>替え歌の方が真っ先に
やっぱりですか?(笑
私もなんですよ。しかも元歌全然覚えてない!
だから出だしは、

誰だ 誰だ 誰だ〜〜〜  儂の越後を取ったのは

です。(爆

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ヨネザアド号で伝国の杜へ 

2008年05月28日 ()
……というわけで、米沢に到着しました。
午前11時35分。
駅前に降り立つと、360℃、見事に山に取り囲まれています。
海と遠い地平線を見慣れた身としては、ちょっとした閉塞感を覚えました。
もしかしたら、越後→会津→米沢と移ってきた上杉家の家臣たちの中にも、
同じ様な感覚を持った人がいたかもしれません。

米沢市内の移動には循環バス「ヨネザアド号」を利用しました。
青い右回り黄色い左回りの2台が運行しているのですが、
車体になにやらファンタジックな絵が描かれており、よく見ると、その動物の服に「」の文字が!
なぜこのファンタジックな絵に「毘」なのだろうか……。
もしかしたら、ほかにもこんな風に「毘」とミスマッチなコラボレーションがあるんじゃないかと、
一抹の不安(?)を抱きつつ、200円の運賃を払ってバスに乗り込みました。

あとで調べてみると、バスの号名「ヨネザアド」というのは米沢という都市名からではなく、
米沢出身の漫画家、ますむらひろしさんの「ヨネザアド・アタゴオル物語」に由来しているようです。

バスは狭い路地を走っていきますが、そのきちんと区画整理された町並みに、
静かな城下町の佇まいを感じました。
おそらく上杉景勝以下、直江兼続を初めとして、
移封されてきた上杉家臣の人々が懸命に整えたであろう城下町の名残り。
ほんの一瞬、自分もその家臣の末端に名を連ねる人間であるかのような気分になり、
四方を囲む山並みに、ふと越後が恋しくなりました……。
10分ほどバスに揺られ、上杉神社前に到着。
ここで、松岬神社、上杉神社、上杉博物館を見て回ります。

その前に、まずは腹ごしらえ……と思い、上杉城史苑へ向かったのですが。
ワタクシ……実は牛肉はあまり食べないのでして……。(汗
(焼肉やさんに行ったら、ほぼ豚肉と野菜しか食べない安上がりな女です・爆)
皆さん「米沢牛 米沢牛」と嬉々とされている中で、食事に困ってしまいました!
予期していたとはいえ、うわー、食べられるものがなーーーい!!!
そんなわけで、選択肢はなく、カフェへ直行!(苦笑
軽くエネルギーを補給して、早速第一の目的場所へGO!

直江兼続式自販機

これ、直江兼続式自動販売機にございます!!!
すいません、最初の目的がこれで。(爆
「本当に特徴的な『愛の前立て』があってよかったよね。
これがなかったら、直江兼続を簡単にアピールできるものって何もないよね」
愛の前立て兜が堂々と立った自販機を前に、そんなことを思いました。(苦笑
これを写真に収めるという任務を無事果たしたので(笑)、まずは松岬神社へ向かいます。
つづく。
[2008.05.28(Wed) 22:28] 上杉氏(ゆかりの地/旅)Trackback(0) | Comments(4) 見る▼
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おお〜! by びびんば
あのレストランの向かい(?)のカフェに入られたのかな?^^;;;
私も入りたかったのですが、終始人が一杯で・・・・(ガクッ!)
その自販機、レストランから丸見えですので、ステーキ丼を頂きながら、
自販機を見つめておりました^^;;;

この後の展開が楽しみです^^v

■びびんばさん by カタリーナ
はい、そのカフェに入りました!
びびんばさんが行かれたときは異常事態の日ですから(爆)、
どこもかしこも混んでいたことでしょうね。
私が行った日はガラガラでしたよ〜。(苦笑

>ステーキ丼を頂きながら、自販機を見つめておりました^^;;;
おおお!
それはある意味、直江君とさしで昼食会ということですね!(爆

この後の展開、それは伯爵邸で……待て次号!

by Aki_1031
素敵な写メありがとうございましたーー!
ホントに前立てがついてる〜!と大爆笑…や、感動してしまいましたよ。

そこかしこに隠れて(?)配されている「毘」文字…笑える。ぷぷっ。
来年になれば、ひっそりとあったその文字も
全面に押し出されて、町中の至る所で「毘」が
見られることになるかもしれませんね♪
ああ、色んな意味で(笑)来年が楽しみです☆

■Akiさん by カタリーナ
前立てつき自販機、喜んでいただけてよかった。
米沢は、すでに「毘」と「義」で溢れていました!(笑
さすがハンパじゃないです。
これに「愛」も加わって、来年はもっとすごいことになりそうです。
といっても、何にでもこの3つを組み込んじゃえ精神はちょっとどうかと……。(苦笑
ううう、キャスト早くーーーっ!

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いきなり米沢へ! 

2008年05月27日 ()
先週、突然思い立って米沢へ行ってきました。
どうも上杉さんのこととなると、重いお尻も軽くなるようで。(苦笑

さて、新潟県と山形県はお隣同士ですが、米沢というのは行きにくい。
うんと福島寄りの内陸に入ってしまうので、新潟から電車で行こうとするとちょっとばかり不便。
でもたまには電車に揺られて旅するのもいいか……と、青空の下を出かけました。

朝8:39発の快速「べにばな2号」に乗る予定で出てきたわけですが、
たいして混まないだろうとのんびりしていたら、やや、席が埋まってる!!!
ダッシュでお茶を買い、キオスクを立ち去ろうとしたら、なんと高校時代の友人がそこに!
子供と一緒だったし、久しぶりだったからゆっくり話したいのは山々だったんですが、
席が埋まっているのと発車時間が迫っているのとで、挨拶もそこそこに改札に向かいました。
ああ、なんてタイミングが悪いの。ごめんね、Mさん!

さて、何とか席を確保した「べにばな2号」ですが、実はたったの2両編成。
何か知らないけど、すごい混んでます。
年配のグループが何組もいるし、強面のお兄さんたちも何人かいます。
「みんな、どこへ行くの? このまま米沢じゃないよね……?」
このべにばな2号は、新潟駅を出発すると、白新線、羽越本線、米坂線を通り、
3時間かけて米沢まで走ります。

米坂線・他

自分が眺めたいので(笑)、停車駅を書き出してみます。

新潟→東新潟→大形→新崎 →早通 →豊栄→黒山 →佐々木→西新発田→新発田
加治→金塚→中条→平木田→坂町→越後大島→越後下関→越後片貝→越後金丸→
(ここから山形県)小国→羽前松岡→伊佐領→羽前沼沢→手ノ子→羽前椿→萩生→今泉→
犬川→羽前小松→中郡→成島→西米沢→南米沢 →米沢



こうしてみると、やっぱり3時間ローカル線の旅は長いですねえ。
一応快速を謳っていますが、実は坂町までが快速で、そこからは各駅停車……。(苦笑
路線図を見て、佐々木、新発田、加治っていう駅名にちょっとニンマリ。
「佐々木」という駅があるなんて全然知らなかったけれど、
これは多分新発田さんの祖先にまつわる土地ってことですよね。
今まで地元の地図や電車の路線図なんてたいして眺めもしませんでした。
歴史の名残がちゃんとあるってことを、初めて感じた気がします。
京都なんか行くと、逆にそれが普通になってしまいますけどねー。

……と、路線図を見ながら考えていたところ、目の前に例の強面のお兄さんたちが!!!
黒のスーツに白のシャツ、ノータイで頭がツルツル……。
うう、この威圧感は怖いです。しかも複数人数……。
「何する人たちだろう……」
あれこれ思考をめぐらしていたところ、そのうちの1人が路線図を眺めて……。

「お、これ米沢まで行けるんだ」
「なに、山形?」
「おう、俺さ、行ってみてえんだよな」
「なんで」
「江戸になるとさ、上杉家が米沢行ってるんだよ」
「上杉って?」
「上杉景勝。俺さ、上杉景勝って漢(おとこ)を感じるんだよな〜」
「……(対応不能)」

私の耳が、ダンボより大きくなりました!!!

「俺さ、上杉景勝って漢(おとこを)感じるんだよな〜」

何ということを仰るのですか!!!
今この目の前の、黒スーツに白シャツ&ツルツル頭のアナタとお友達になりたい!(爆
妄想じゃありませんよ、作り話でもありませんよ、本当にそう言ってたんです!
それから上杉景勝が誰だかさっぱりわからない相方にいろいろ説明されていたようですが、
まさか旅のしょっぱなからこんな出会い(?)があろうとは。
思いがけない言葉にノックアウトされている私には目もくれず、
お兄さんたちは早々に下車していきました。
どうやらお馬さんの競走を見に来ていたようです。
結局持ってきた本になかなか集中できずにいる間に(苦笑)、電車は山形県内へ。

伊佐領駅

のどかなローカル線の旅も、あと1時間。
これからしばらく、米沢ネタ、いや上杉ネタが続きます。
[2008.05.27(Tue) 21:48] 上杉氏(ゆかりの地/旅)Trackback(0) | Comments(8) 見る▼
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そのツルツル・・・・ by びびんば
あんたは、景勝君の何たるかを知っている!!!
と言うことで、そのツルツルさん、カゲカツィスト4号決定ですな!

いいなあ〜
私の時は、そんな話聞こえてこなかった〜><
「喜平次君が・・・・」
というおなごの声だけが・・・・v-12

うわ〜(涎)!! by まるひげ
羨ましいです!
「思い立って米沢」!!
そうなんですよね、隣県なのに新潟からも福島からも、そして山形市からも遠い場所…。

>佐々木、新発田、加治っていう駅名にちょっとニンマリ。
あ、わかります(笑)。
地味に難読地名とされてる「新発田」が特に!

それにしても、強面スキンのお兄様、ステキな科白を吐いてくださいましたね。
旅先でこういう出会い(?)ってなんとも嬉しいものですw

米沢には、ずっと行ってみたいと思っていたので、
カタリーナさんの米沢&上杉記事、楽しみにしてます♪

by Aki_1031
カタリーナさん、お待ちしておりました!!!
そしてカゲカツィスト発見おめでとうございます♪

>路線図を見て、佐々木、新発田、加治っていう駅名にちょっとニンマリ。
わわわわっ!ヤバいです、ピンポイントです(何)。
その先の
>萩生→今泉→
辺りも個人的にツボです(><)。
わーん、庄内に行きたいよ〜!ってそっちかい(笑)。

戦国好きな皆さんにとってはツボな場所でしょうけれど、
幕末スキーにとってもこの上ないツボです!
続き、楽しみにしております…。

憧れ by 夢の中へ
米沢 越後 憧れの地です。
突然 思い立って行けるなんて・・・
京都からって調べたら、朝6時過ぎの新幹線で東京に行き
山形新幹線に乗り換えて11時過ぎ到着・・・
日帰りはキツイですね〜
なかなか家を空けられないので今は夢見てるだけです。

でも景勝様に漢を感じるなんて良い言葉
私の周りでも「上杉景勝?謙信じゃないの?
米沢?上杉って越後でしょ?」
上杉は信玄と戦った川中島で止まってる人が多いです。

米沢紀行期待してます。

「真田太平記」でも景勝さま良い感じでちょこっと
出てましたよね。あの一癖も二癖もある真田昌幸が
家康と戦うって時に「なぜ声を掛けてくれないのか」
なんて淋しがってました。幸村を可愛がってたのも
あの本では直江じゃなく景勝様だし・・・

信幸が50過ぎに年上のお通に恋焦がれるところが
すきでした。景勝様にはそういうお話が残って
ないのでしょうかね。

■びびんばさん by カタリーナ
じゃあカゲカツィスト4号はツルツルさんで。(爆
これで行きはルンルン(死語?)だったのですが、
帰りはとんでもない会話に遭遇することに!
乞うご期待???

■まるひげさん by カタリーナ
日帰りだったため、観光時間が5時間もありませんでしたので、
ご期待に添える記事が書けるかどうか……。
妄想だけは広がるのですが。(爆
でも本当に、日本列島ど真ん中っていうくらい内陸なんですね。
冬はさぞかし厳しいのだろうなあと思いました。

まさかね、こんなツルツルの兄さんから、
「上杉景勝」の名前を聞こうとは思いもしませんでしたから、
満員電車の中で挙動不審になってしまいましたよ。(苦笑

■Akiさん by カタリーナ
歴史は繋がってますから、戦国だろうと幕末だろうと、ポイントも重なってきますよね。
都市の構成というのはそう変わらないものですから。
庄内藩は、最後に兼続が戦う最上氏がもともといた土地で、
その最上氏が改易になった後に、酒井氏が入ってくるんですよね。
徳川四天王の嫡流で譜代大名ですし、ここから幕末までの流れも興味深いものがあります。
Akiさんも、ぜひぜひ山形方面へおいでくださいな♪

■夢の中へさん by カタリーナ
山形県はお隣ですから思い立ったら出発できますが、
京都となると、同じ様にすぐに行けるようなところではありません。
東京駅で新幹線を乗り換えるか、北陸線回りで行くか、あるいは飛行機で伊丹まで?
関西方面へ出るのはなかなか大変ですから、関西からいらっしゃるのも大変ということですね。(苦笑

男性の口から「上杉景勝に漢を感じる」なんて言ってもらうと、
それはとても嬉しくなりますね。
やはり同性の支持って大きいですものね。
そういう私も、つい昨年までは上杉といえば川中島まででしたし、
戦国期も正直に言うと本能寺まで……みたいな感覚でした。
秀吉の時代になると、江戸序盤戦みたいな感じで。(苦笑
来年になれば、景勝公の知名度もぐっと上がってくれると期待しています。
そのためにも、良い役者さんに演じて欲しいものですが……。

「真田大平記」は、もう全然内容を覚えていません。(汗
私が一番印象的だったのは、「家を守る」という、このことにつきます。
家を継ぐということがだんだん重要ではなくなっている現代だからこそ、
家を存続させるために親子が戦う真田家のすさまじい歴史に感動したのかもしれません。
全12巻はかなり長いですが、また読み返してみようかなあ。
景勝さまも登場されてるんですね。すっかり忘れてる。(苦笑

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新潟城ってどこにあるの? 

2008年05月21日 ()
暑くもなく寒くもない、心地よい一日……。
我が家の庭も、緑の香りが満ちるようになってきました♪

ここはどこ?






な〜んて、ウソです。(苦笑

ここは新潟市の白山公園。
かつて新潟城があったんじゃないか、とされているところらしいです。
すべてが推測文体なのは、そんなことが公に記されているものを見たことがないからです。(汗
最近新潟県の天気予報を見ると、地名が武将や城の名前に変換されてしまいます。
新発田の新発田城や、三条城、栃尾城とかはそのまま地名になってるし、
柏崎と聞けば、宇佐美さんの琵琶島城と、
上条さんの上条城(じょうじょうさんのじょうじょうじょう・なんて素敵な響き♪)が思い浮かぶし、
六日町って言われれば、当然坂戸城しか思い浮かばないし(苦笑)、
中毒もここに極まれりって感じなのですが、そんな中でふと疑問が。

「ねえ、新潟城ってどこにあるの?」

考えてみれば、これまで一度も、新潟城址という言葉を聞いたことがありません。
新潟城は、新発田城の新発田重家が景勝公に反旗を翻したとき、
新潟津(要するに新潟の水利)を確保するために建てたようですが、
遺構とかはなく、その場所も定かではないらしいです。
白山公園の説明にも、明治に入ってから、江戸時代からの景勝地だった白山神社の境内に、
公園を作ったとしか書いてありません。
そう、ここは白山神社でもあります。

白山神社


ものすごい逆光で、写真が上手く撮れません。(汗
私のお城に関する情報源は、ほとんどが「埋もれた古城」というサイトなのですが、
こちらに、白山神社及び白山公園周辺が、新潟城のあった場所なんじゃないか?とあり、
市民としては、思いがけない結果でした。
江戸期のお城は別として、戦国期は山城ですから、
こんな繁華街の真ん中に城があるっていうのがものすごくな奇妙な感じがします。
水の利を確保するための城と思えば、川と海に囲まれたこの地もわかる気はしますが……。


小高い山へ


築山みたいなのがあるんですが、ここがもしかしたら本丸だったとか……?
登ってみても、鬱蒼としていて周りが見渡せませんが。(苦笑
ちょっと調べてみたら、新潟城に関する文献みたいなものもあるらしいです。
普通に読めるものかどうか分かりませんが、要チェック。

藤棚が涼味を醸しだしていました。
紫ではなく白、というのもなかなか美しいですね。

白山公園の藤棚
[2008.05.21(Wed) 20:55] 上杉氏(ゆかりの地/旅)Trackback(0) | Comments(2) 見る▼
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いいですね〜^^ by びびんば
幻の域を出ない新潟城址(?)は、今の季節、マッタリ出来そうな感じですね〜^^
うちにも戦国期では信じられないような、平城がありまして、そこは港を管理するための城でした
(↑ですので、攻められてあっさり落城しました@爆)
そこにそういう形態の城を、新発田さんが設置しても不思議ではないですね〜^^

私も、人様の県の地名を聞いては萌えてしまう、今日この頃・・・・(溜息)

■びびんばさん by カタリーナ
港を管理するためのお城ですか〜、なるほど!
ここもきっとそんな感じだったんでしょうね。
なかなか落ちなくて景勝公も手こずったようですが、
それはやはり新発田さんが戦巧者だったということなのかな?
この公園、マッタリするには最適ですよ。
見上げたとき、もうちょっと現代の建物が見えないといいんですけどね〜。(苦笑
そういえばサルのノリコとハナコ、見てこなかった!

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そして坂戸城 

2008年04月30日 ()
今朝、上杉謙信と上杉三郎景虎の命日が同じだというこちらの記事にコメントをいただき、
このとき以上の衝撃を受けております!!!
なんと、景勝さまの命日も新暦にすると同じ日になると……!!!(驚愕

(謙信) 天正6年 1578年3月13日 → 天正6年 1578年4月19日
(三郎) 天正7年 1579年3月24日 → 天正7年 1579年4月19日
(景勝) 元和9年 1623年3月20日 → 元和9年 1623年4月19日

まだ上杉初心者の自分の中では景勝さまは亡くなっておらず、
というのも、まだ後継者争いから先へ話が進んでいないので、
景勝さまの命日まで全く把握しておりませんでした!

ここまでくると、さすがに「くだらない偶然の一致」とスルーすることもできない……。
養子縁組を通して繋がったこのお三方は、なんという不可思議な因縁で結ばれているのでしょう!




閑話休題。
というところで、昨日の続きです。

雲洞庵は、周りを杉木立に囲まれ、遠くに坂戸山城を望み、
本当に素晴らしい自然の中に立っています。
残念ながら建物の手入れは行き届いていませんが、それでも庭は美しく、
水芭蕉が緑の葉を大きく広げていました。

雲洞庵の庭

本堂の奥に伸びる廊下には、人が亡くなってから3回忌までの道のりを詠んだ
ユーモアに富んだ色紙が飾られています。
皆さんここは結構スルーされていましたが、是非足を止めてじっくり見たいところです。
これによると、人は死んだら地獄へ行くか、極楽へ行くか、人間界へ行くかを選ぶのですが、
そのための審判が7日ごとに、それぞれ別な王によって行われます。

初七日  秦広王 (しんこうおう)
二七日  初江王  (しょこうおう)
三七日  宋帝王 (そうたいおう)
四七日  五官王 (ごかんおう)
五七日  閻魔王 (えんまおう)
六七日  変成王 (へんじょうおう)
七七日  泰山王 (たいざんおう)

百カ日  平等王 (びょうどうおう)
一周忌  都市王 (としおう)
三回忌  五道転輪王 (ごどうてんりんおう)

葬儀のあとに、大抵35日の追善供養を執り行いますけれども、
35日(五七日)は閻魔王の審判を受けるとても大切な日。
また49日(七七日)は最終的にどの道へ行くかが決まる日なので、もちろん重要。
審判は本人の生前の行いによって左右されるわけですが、
それを補うのがこの世に残った家族による追善供養。
これが足りないと、どんなに本人が悔い改めても良い結果は出ないらしいです。

日頃の行為と先祖の供養、どちらも大切という戒めを頭に入れながら進むと……。

坂戸山説明書き


座敷から坂戸城が見えるようです!!!

私、突進。(爆
座敷の窓から周りを見渡せども、図に描かれているようなは見えません。
別に城が残ってるわけじゃないので、何か見えるということもないのかもしれないのですが。

坂戸城遠景


どこ、どこ、どこ、どこ〜???
手前の現代的な建物は仏舎利なんですが、ここからよーく目を凝らして見たら……。

ありましたーーーっ!

坂戸城アップ


ここからの眺めは多分戦国の世からそれほど変わっていないはずで(仏舎利はありますが)、
幼い喜平次くん(景勝さま)も、勉学の合間にこんな風にお城を眺めていたのかもしれません。
それにしてもこの山城、攻めるのは容易ではなかったろうなあと思いました。
その坂戸山城跡ですが、さすがに行ってみる気力はなく、本日ここから眺めただけで終了。
麓まで行けば碑なども見れるんですけどね、それはいつか同志ができたときにでも。(笑

最後は六日町の商店街へ、カフェを探しに……。
しかしお目当てのカフェは私の期待を裏切って定休日!!!
こんなところまで来たのに、なんて運が悪いのさー。

直江兼続・六日町の幟


さすが生まれ故郷、いろんなヴァージョンの「天地人」幟がありましたが、
上手く写真に収められるアングルにあったのがこれ。
紺色はなかなかシブいです。
今回の旅の位置関係は、下の地図をご覧下さい。



あと、おまけ。
続き▼

南魚沼市役所前の、レリーフだけはちゃんと見てきました。

景勝・兼続レリーフ



向かって左が景勝公、右が兼続。(写真をクリックすると大きくなります)

kagekatsu-relief.jpg 直江兼続


景勝さまのお顔は、現在見られる江戸期の肖像画よりも細面で、
写真が残っている明治期の上杉家のご当主の方々の面影があるように思いました。
   

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[2008.04.30(Wed) 20:23] 上杉氏(ゆかりの地/旅)Trackback(0) | Comments(4) 見る▼
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じゃ・・・・ by びびんば
これで上条さんも・・・だったら、更に驚愕・・・?
でも、上条さんは仲間はずれっぽそう・・・(爆笑)

いいですなあ〜@南魚沼
私も今年中には行きたいのですが、南魚沼から上越へ移動するのも・・・・(汗)
でも、一回で行きたいのが人情というもの・・・(笑)
とあるHPをみたら、坂戸城へ登山(?)した方がいらっしゃって
「熊に注意!」
の標識があったとか・・・・・(滝汗)

■びびんばさん by カタリーナ
ご想像通り、上条さんは仲間外れにございました。(苦笑
旧暦で8月に亡くなっておられますので……。

南魚沼から春日山へ移動するのはそれほど難しくはないと思いますが、
体力気力的にはかなりつらそうですよね〜。
この雲洞庵だって、タクシーでしか行きようがないですし、街中の移動がかなり不便です。
ちょうど私が雲洞庵を出ようとしたとき、午前中坂戸山に登ってきたというご夫婦に出会いましたよ。
「いい汗かいた〜」って仰ってました。
熊は、見た感じからも出るんじゃないでしょうかね〜。(笑
もうちょっと北のほうとか行くと、普通に「マタギ汁」とかあったりしますよー。

by Aki_1031
す、すみませんっ。思わず
>私、突進。(爆
に爆笑してしまいました(笑)。
わははは!カタリーナさんったら分かりやすすぎ〜!!
それにしても、山の端にちょこんと見える坂戸城跡、
視力が極端に悪い私ならきっと見つけられそうにありませんっ。
てか、さすがカタリーナさん!これも愛ゆえよね〜、と妙に納得(笑)。

命日の不思議な一致…何らかのご縁を感じますね。
16世紀の人物たちの命日が分かっているのに、
19世紀に亡くなった彼の御仁の没日がいまだに確定されていません(号泣)。
誰か書き残しておいてくれーーー!!(叫)

■Akiさん by カタリーナ
実は突進したら先客がありまして、急ブレーキかけました。(爆
というのも、座敷の縁側に長いすが用意されていて、
座って外が眺められるようになってたんですが、そこでカップルが憩っていて……。
彼らに恨みはありませんが、「早くどけ〜〜〜(呪)」と念を送ってました。(苦笑

>19世紀に亡くなった彼の御仁の没日がいまだに確定されていません(号泣)
こればかりはどうしようもないですよね……。
状況が状況でしたもの。
でも彼の御仁は確か生まれた日もわかっていないのですよね?
それはさすがに辛いですね、慕っている者としては……。
願わくは新史料が発見されますように!

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土踏んできました! 

2008年04月29日 ()
本日の最高気温22℃。
快晴の心地よい空気に誘われて、急に思い立って、
上杉景勝公生誕の地、六日町(南魚沼市)へ行ってきました!
到着早々、まずは腹ごしらえと、関越道・六日町インター近くの「そば屋敷 ぶな苑」さんへ。

そば屋敷 ぶな苑


お店の建物は松之山町から古民家を移築してきたものだそうで、
蔵の扉をテーブルに再利用するなど、非常に趣のある造りです。
おそばはそば粉10割の田舎そば。
ツルツルではなく、しっかり噛みしめて味わう系の太めのおそばで、食べ応えは充分。
おそばも◎ですが、けんちん汁が非常に美味しく、オススメかと思います。
店内には、お店のご主人の筆による現代語訳版「直江状」が掲げてあり、
食事を待つ間も話題には事欠かなさそう。
それにしても、おそば屋のご主人て、なぜか皆さん達筆でいらっしゃる。


美味しいおそばに舌鼓を打ったあと、上杉軍団も歩いた清水街道を通って雲洞庵へ。
車の中から、左手に見える山に「坂戸山だ〜、坂戸山だ〜」と叫び続け、
家族の顰蹙を受けまくりました。(汗

雲洞庵


道中、「直江兼続」と「天地人」の幟に導かれ(苦笑)、いよいよ雲洞庵に到着。
正面の大草鞋が一際目を引きます。
ここ雲洞庵は上杉景勝と直江兼続が幼少の頃、共に学んだ曹洞宗の寺。
杉木立に囲まれた寺には、ただただ鳥の声と風の音が響くばかりで、
尊敬する師の下で学ぶには最高の環境であったろうと思われます。

そしてこれが、「雲洞庵の土踏んだか」と言われる石畳。

雲洞庵の石畳


この石畳の1メートルほど下に、法華経を1字ずつ刻んだ石が埋められているそうで、
踏みしめて歩くことでご利益があるとか。
昔の人々も、「ありがたい気持ちで」この石の上を歩いたとのこと。
私もしっかり踏んでまいりました。

寺の内部はとても広く、越後で唯一の最高級の書院造(大方丈)や、
素晴らしい欄間の彫刻、数々の曰くある神仏像に、上杉謙信の位牌など、見るものはたくさん。
宝物殿には、光琳、若冲、谷文晁の掛軸、そして北高禅師の大涅槃図があり、
また楠木正成の遺言状や、上杉憲政、景勝の書状武田信玄、勝頼の書状
さらには源義経と弁慶の写経の切片もあり、こちらもゆっくり見ていると時間が足りません。

途中、私は景勝さまの書状に見入りすぎたせいか、虻に襲われ危うく尻餅をつくところでした!(汗
このしつこく私につきまとった虻……いったい、だれ?
それはさておき。(苦笑

どれもが非常に重要な文化財だと思うのですが……しかし、しかしなのです!

寺の規模、所蔵品の価値に対して人手が足りていないのでしょう。
管理が全く行き届いておらず、寺の門も朽ち始めており、本堂の毛氈は日焼けし、
壁が崩れているところもあれば、開かずの間となったらしい座禅部屋は埃にまみれ、
使われていない座敷には正月飾りの残骸や掛軸が放られたままで、
その荒れように心が痛みました。
座禅部屋では、かつてはきちんと座禅の会が催されており、
朝5時から修行、朝食は禅師さんが一緒に取ってくださっていたそうなのです。
上記の宝物も、一応ショーケースに収められてはいるものの、
湿度計や乾燥剤、水といったものは見当たらず、どうやらこちらも管理されていないようで、
ケース内には虫の死骸が多数あり、表具された屏風は剥がれかかっているし、
大変なことにカビが生えてしまった宝物も……。(涙
このままではせっかくの貴重な史料や宝物が痛むばかり。
しかしこれらの管理に寺の修繕をしようとすると、3億4億ではとても賄えそうにありません。
今日でさえ、観光客が途切れることなく訪れていましたから、
大河が始まれば一時的とはいえどっと人が押し寄せることでしょう。
せめてお掃除だけでもNPOにお願いするとか、考えなければいけないのではと、
そんなことを考えながら歩いてきました。

うーん、書き終わらないので、明日に続きます!
[2008.04.29(Tue) 23:01] 上杉氏(ゆかりの地/旅)Trackback(0) | Comments(4) 見る▼
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COMMENT

私も行きたい by 夢の中
こんにちは 
カタリーナさんは景勝様の故郷のお近くにお住まいですか?
羨ましい・・・
でも景勝様たちが一生懸命勉学にいそしんだ雪洞庵が
荒れているのは心が痛みます。本当に何とかならないものでしょうか。

昨日本屋さんで 週間「戦乱の日本史 新説川中島の戦い」という毎週買っていけば辞典のような物になるというものを見つけパラパラと見ていくうちにと!!
景勝様のご両親の肖像画が載ってるではありませか。
迷わず買いました。
景勝様の肖像画はよく目にしますがご両親ははじて。
お父様長尾政景様は勇猛な武将といわれてますが優しげでむしろ頼りないくらい。
お母様の方が凛とした感じです。景勝様はお母さん似で謙信似なのかも。
どなたの作か忘れましたが謙信主人公の小説で
謙信が景勝を「体つきも長尾の血じゃ」なんて
言ってるシーンがありました。跡取りは景勝って謙信は
思っていたと思うのですが・・・

近衛さんの「上杉景勝」の感想面白く読ませていただきました。
やっぱり暗いですよね。何と言ってもお菊様の自害で
とどめを刺されました。暗いエピソードをよって書いたのか?
一言で感想言えば「三郎景虎の資料の使いまわし」
なんて思ってしまいました。
期待が大きかったからよけいでしょうか?

景勝君に関係ないことですが・・・・ by びびんば
くすさま(=楠木正成)の書状に、激しく興味を抱いてしまいました!
何故に楠木正成??(苦笑)

ココだけの話、佐竹氏の菩提寺天徳寺も手入れがちとアレでして
このままだと、何もかも朽ちてしまう!と危機感を抱いています><
観光寺だったら、気合いをいれて手入れをするのでしょうかねえ・・・・^^;;

ところで・・・・・・
兼続キティをゲットされましたか?(笑)

■夢の中さん by カタリーナ
こんばんは♪
私は六日町から高速で1時間半くらいのところに住んでおります。
遠くはないですが、そうちょくちょく行ける場所でもないですね。
雲洞庵の痛み具合には、さすがに言葉がありませんでした。
本当に田舎の山の麓にあるお寺なので、それほど観光地化しているわけでもないですし、
おそらく檀家さんの数もそう多くないのだろうと思います。
それに比較して、寺の規模が大きすぎるんだと思うんですよ。
ゆえに手入れも行き届かないのでしょう。
先代のご住職は一般の座禅を受け入れたり、いろいろと頑張っておられたと聞いていますが、
代替わりすると、なかなか前のようにはいかないようです。
本当に素晴らしい自然の中に建っているので、私もここで座禅を組でみたかったです。

>「戦乱の日本史 新説川中島の戦い」
発売になりましたか!
景勝さまのご両親の肖像画、他の雑誌で拝見しました。
確かに政景公は勇猛というよりもずっと優しげに見えますよね。
それを考えると織田信長の肖像画からも、今に知られているような性格はちょっと窺い知れませんね。

>「三郎景虎の資料の使いまわし」
ああ! これ、私も思いました。(苦笑
ゆえに御館にあれだけページを割く結果にもなったんじゃないでしょうか。
謙信の後継者ですけれども、謙信が亡くなった時点では、
「景勝さまに」と、何となく(ここ重要!)考えていたようには思います。
しかし三郎くんが来てしばらくの間は、多分かなり微妙だったと思います……。
永遠に答えのわからない謎ですね、こればかりは。

■びびんばさん by カタリーナ
雲洞庵は藤原不比等の奥様がこの地で尼僧寺を開いたのが元だそうですが、
その後傑堂能勝禅師という人によって再興され、禅宗の寺に変わったんだそうです。
この傑堂能勝禅師が、楠木正成の孫と言われているようで、
この孫に宛てた遺言書が残っていたのですよ。
確か何事にも頑張りなさいというような内容だった気がします。
時間が足りずに、あまりよく読めませんでした。(汗

佐竹氏の菩提寺も荒廃が心配されるような状態なのですね。
すべては資金の問題ですから、簡単に解決できないのが難しいですよね……。

キティですが、駅前の土産物屋をくまなく探したんですけど、
ドラえもんしかいませんでしたー。(涙
まだネットだけで、世間にお目見えしてないのかなあ。
いやまさか売り切れたなんてことはないでしょうから。(苦笑

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